人は脈と呼吸を停止すると、特別の「物体」となって、ニンゲンの生活空間から退去させられ、その存在証明として残された壺の中のカケラとなって、見えない地下へ移される。でも、これで一切が終り? と、最も長く、最も身近に同じ生活空間にいた人の「その後」に立ち会い、その過程を体験したエムは、納得できない(または抜け落ちている)何かがあると感じる。実体のカケラ以外の部分、笑い、会話し、考え、構築したり壊したり、周囲に影響を及ぼしてきたあの言葉、思想、感情・・・などはどこに行ったのだ。そもそも、一般に言われている「死」という言葉は、それらまでも無に帰してしまうことを意味するのだろうか。では「死」とは何か。「無」とは何か。その前に「生」とは何なのか。 これらの疑問を解くために、エムは「机上の旅」に出る。そして「生命科学」から始まり、医学、生理学、歴史、哲学、文学にわたる分野で様々な事実や示唆に富んだ言葉に出会う。「生命誌絵巻」、「『死』の誕生」、「免疫劇場」、「私の『死』というものはない」、「メメント・モリ」等々。 さらに分かったことは、それぞれの学問分野は、その分野における分析、考証、体系化、等を目指すが、それらの中に収まり切れないものを見出す。何故なら、それぞれの学問分野は、その領域内での専門的研究を極めようとすると、生身の人間が求め、解決しようとしていることとかけ離れてしまうという矛盾に突き当たる。生身の人間が求めているもの、それは「私たちは何者か、どこからきて、どこへ行こうとしているのか」という根本的疑問、つまり自らの出自とその正体ということで、それこそがエムの求めていた『旅』の目的と通底していることだと知る。それは『物語』、つまり専門分野を超えた大きいスケールの中にあった。 生物界の中で、異常に発達した脳を持つニンゲンは、言葉と文字を発明することで、物体としての脳そのものは失われても、文字や創作物、技術として、脳の外へそれらを残すことができるようになった。そして、共通した概念を作り上げることによって、社会や国家や政治制度や法体系、文学、芸術までもつくり、それを伝え、残すことができるようになった。それらのものを引き継ぎ、発展させ、進化させることさえも。それはさらに大きいニンゲンの『物語』になる。 エムの頭の中に住み着いたカイトは、エムによって文字化され、外部化されて『物語』となり、人間の、更には自然、宇宙の営みのなかの小さなエピソードとなってくれるだろうか。
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