物語は伊豆山のとある神社で寝泊まりしていたみすぼらしい僧侶姿の熊谷次郎直実に話しかけた良暹(りょうせん)という高僧との会話から始まる。良暹は源頼朝から直実が何故武士を捨て鎌倉を去り、仏門に入ろうとしたのかを調べ、連れて帰るように命じられていた。直実は良暹の求めに応じて幼少時からの自分史を語り始め、傍らの修行僧に書き留めさせた。 直実は幼少時、武蔵国久下郷の地頭久下権守直光に引き取られ弓矢丸と名付けられ、武士としての弓や太刀の使い方、乗馬などを教えられ、鍛えられた。元服を迎えると保元の乱、平治の乱を通して武士として働き、徐々に成長し頭角を現した。直実は常に戦では一番槍を努め多くの首を挙げ、源頼朝に『日本一の剛の者』と言わしめた。頼朝に仕えるようになり、更に多くの戦で何十人もの首を取った。しかし、武士として当然である筈の敵の首を挙げる度に、次第に自分の行いを振り返り人の命について深く心の中で考えるようになる。 平氏が滅亡に向かう一の谷の戦いでは、源義経の元で未曾有の働きを上げた。そこの浜辺で後世の歌舞伎などで有名な平氏の若い公達、平敦盛と顔を合わせ一騎打ちをすることになる。直実は敦盛が直実の嫡子直家と同じ年頃の武士であったが故に敦盛を逃がそうと思うが、多勢の味方が迫りくる中でやむを得ず首を取ることになる。 その夜、直実は夢を見た。浜辺の向こうから三十数人の血にまみれた武士たちが歩いてきた。直実は皆見たことのある顔つきであった。その集団の後方にはその日首を挙げた敦盛も見えた。その先頭にいたものは山中時影と名乗った。時影は保元の乱で直実に首を刎ねられた武士だ。敦盛と時影は直実にこう言った。『そなたの苦悩は良くわかる。極楽浄土に行くためには仏門に入れ、そして今までそなたが殺めた者たちの供養をせよ』直実はその声は自らが心の中で思うてきたことだと悟った。直実は良暹にはこの後は蓮生(れんせい)と名乗ると伝えた。
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