【渋沢栄一は、日本資本主義の父と呼ばれる】国と国民を富ますこと、論語を基本に国の将来を考え、徳川慶喜公の国に対する献身的な姿勢と未来の為に邁進する志に自らを重ねていた。本書で述べる隣国朝鮮に対する思いは「先進文化を伝えた国」、「仏教そして儒教を伝えた国」、「唇歯輔車」お互いに助け合って成り立つ国として尊敬と感謝の念を強く持っていた。1876年日本と朝鮮が「日朝修好条約」を締結、日朝間で貿易が開始した。1894年日清戦争で日本が勝利、1895年日本と清国で「下関条約」締結。この条約により朝鮮は清国の冊封国から解放され、「大韓帝国」として独立国となり、ヨーロッパはじめロシアなどと貿易を開始する。1898年、栄一は、大韓帝国を初めて訪れる。しかし、栄一が訪れた国は、住民が重税にあえぎ、支配層の両班たちによる賄賂と不正収奪の横行、権力闘争に明け暮れる国土を見て、国家として独立はしたが、自立国家として発展することは困難とみていた。地理的関係からも、唇歯輔車の関係にあり、➀実業的扶植(朝鮮半島の国を開発)することで日韓関係の緊密化を図り2大韓帝国の独立を擁護する。➂日韓の利益を保全することで、日韓の安全保障を確立すること。【渋沢栄一の思想】➀論語の忠恕を説いた。何事に対しても、真心を尽し思いやりを持つことを主張、実践した。2合本主義を実現した。商工業を盛んにするためには小資本を集めて規模の大きな事業を行う、その経営は個人の利益に左右されることなく正しくなければならないと主張した。➂道徳経済合一を心がけた。仁義道徳と生産殖利を合一しなければならないと、深く期念していた。栄一は、数多くの講演の中で、この道徳経済合一説を説いた。公益主義をベースに、500社以上の会社に関わった。彼の関わった会社には、それまで存在しなかったまったく新しい欧米の知識や技術を導入した業種が数多くある。4渋沢は教育の父とも呼ばれる。生涯、160校以上の教育機関の設立と運営に携わった。国家独立の基礎は、経済の富強、その為には国家規模の経済人の育成が不可欠との信念を持っていた。【世界平和と日本のブラジル移住に関わった】1924年米国は、排日移民法を制定、日本人移民全面禁止となった。1913年ブラジル最初の日本人植民地、イグアペ植民地を開設した「ブラジル拓殖株式会社」と1917年アマゾンに日本人植民地を拓いた「南米拓殖株式会社」に関与。移民の人々が海外で現地の生活に順応し得る人材、移民を指導する人材の養成を目的として作られた学校「海外植民学校」にもかかわった。
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