本来、森田療法は知性による理解を超えるものである。知的接近を棄て去るところにこそ、療法の真髄がおのずから現出する。知ろうとする者には知るべくもない不可知性が、この療法の本質にあると言ってよい。そういう意味でも、森田療法は「知られざる」療法なのである。答えは別のところにある。蘇東坡の詩に曰く、「廬山は烟雨、浙江は湖。未だ到らざれば千般恨み消せず。到り得帰り来たれば別事無し。」ここに言う別事なしという体験こそが、知性を媒介としない格別の境地なのである。本書は、そんなことをフランス人に伝えたくて試行錯誤を重ねている一頭の牛の、足跡のような軌跡である。
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