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キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。 対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。 死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは。 歳はひとつ違い、家も近所で、昔からの友人。だが会う機会は多くはなかったという石原氏と曽野氏。そんなふたりが「人は死んだらどうなるのか」「目に見えない何か、はある」「コロナは単なる惨禍か警告か」「悲しみは人生を深くしてくれる」等々、老いや死、人生について語り合う。老境のふたりにとっての孤独や絶望、諦観や悲しみ、そして希望とは。
レビュー(21件)
発送がとても速いので助かります。 ありがとうございました。
謙虚な慎太郎
夫々の自宅は十数キロしか離れていないそうだが、曽野綾子氏は文壇やパーティー嫌い。石原慎太郎氏は政界に進出した時期もあって、数十年ぶりの再会、そして対談となった。とはいえ、海が好きで肉体派の石原氏と、家庭に籠るタイプの曾野氏は対照的。また、石原氏が法華経の現代語訳を認めたのに対し、曽野氏はクリスチャン。「死」について語り合うも多分に平行線。それでも面白く読ませるのは、発行人・見城徹氏の腕か。意外なことに言いたい放題、暴走老人の石原氏が大人しいのは、曽野氏の謙虚さに影響されたのか。
祖母が読みたがっていたので、プレゼント用に購入。 大変喜んでくれました。
対談形式にも拘わらず、思考の異なる御二人の終末の迎え方が迎合も無く、素直に受け止められ良かった。
人生って不快ね
早く到着しました。ありがとうございます。著書もおもしろかったです