【輸入盤】モテット集 小野綾子、マルク・マイゼル、クリストフ・ルドルフ、クリストフ・リード
: カッツァーティ、マウリツィオ(1616-1678)
大聖堂の音響を見事に捉えた優秀録音!
カッツァーティ:モテット集
小野綾子(ソプラノ)
クリストフ・ルドルフ、クリストフ・リード(ヴァイオリン)
マルク・マイゼル(オルガン)
少年時代にマントヴァ公国でペスト禍と戦争の地獄を経験したイタリア・バロックの作曲家、マウリツィオ・カッツァーティが書いた心優しく美しい作品のコレクション。気分転換用にカッツァーティと関わりのあった3人の作曲家のオルガン小品も収録。
演奏は日本人ソプラノと、スイスのオルガニスト、ヴァイオリニスト2人によるもので、これは当時のボローニャ大聖堂での、アンサンブルの低音部をよくオルガンで演奏したという記録に従ったものだとか。使用したオルガンはカッツァーティと同時代に活躍したスイス、フリブールの製作者によるもので、適度な間接音で混濁なく低音も豊かなサウンドはオーディオ的にも魅力十分。
ブックレットには歌詞と英訳も掲載されています。
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作曲者情報◆ ボローニャ楽派の始祖
イタリア・バロック初期の作曲家、マウリツィオ・カッツァーティは、マントヴァでの若い頃から楽譜印刷の重要性を認識し、やがてボローニャで自分の印刷所をもって各地に楽譜を発送するまでに至っています。生涯で104曲を印刷し、うち66曲が作品番号付きでした。内訳は、オペラが5曲とオラトリオが11曲、ミサ曲、詩篇曲、モテットなど43の宗教声楽曲、マドリガーレなど9つの世俗声楽曲、そしてソナタや舞曲など多くの器楽曲です。◆ 1616年、ルッツァーラで誕生
マウリツィオ・カッツァーティは、1616年、北イタリアのマントヴァ公国南部のルッツァーラで誕生。ルッツァーラは首都マントヴァの南南西約24kmに位置。父はマントヴァの公爵家と職務上の関係があった裕福な公証人。◆ 1628年、マントヴァ継承戦争勃発
前年12月にマントヴァ公国とモンフェッラート公国の統治者であるヴィンチェンツォ2世が死去したことにより、「神聖ローマ帝国、スペイン・ハプスブルク朝」が「マントヴァ公国、ヴェネツィア共和国、フランス王国」を攻撃して戦争状態に。◆ 1629年、首都マントヴァを傭兵部隊が包囲
9月、3万6千人に及ぶオーストリア人傭兵部隊「ランツクネヒト」が、人口約3万人の首都マントヴァの包囲を開始。◆ 1629年、マントヴァでペストが蔓延
11月、不衛生なオーストリア傭兵大部隊が北イタリアにもたらしたペスト被害がマントヴァでも確認。10月にはミラノでも感染騒ぎが起きていました。◆ 1630年、マントヴァ大虐殺
7月、オーストリア人傭兵部隊「ランツクネヒト」が、10か月間の包囲で兵士のいなくなった首都マントヴァに突入。略奪・虐殺の限りを尽くし、折からのペストの大流行や、マントヴァ公など貴族や富裕層の大規模な疎開もあって、約3万人の首都マントヴァの人口は1万人に満たない数にまで減少。◆ 1631年、マントヴァ継承戦争終了
6月、ケラスコ条約締結によりマントヴァ継承戦争終了。15歳のカッツァーティの暮らすルッツァーラは、隣国グアスタッラ公国の領有となってしまい、カッツァーティが若くして首都マントヴァに赴く理由になったと考えられます。◆ 1633年、マントヴァの宮廷
17歳でカルロ1世・ゴンザーガ=ネヴェルス公爵に音楽家として雇われて作品も出版して献呈。◆ 1641年、マントヴァの大聖堂
25歳でマントヴァ公国のサンタンドレア大聖堂の楽長兼オルガニストに任命。作品集も出版。
◆ 1647年、ボッツォーロの宮廷
31歳でマントヴァ公国のボッツォーロでサッビオネータ公爵の宮廷楽師として採用。◆ 1649年、フェラーラの礼拝堂
33歳で教皇領時代のフェラーラのアカデミア・デッラ・モルテの礼拝堂に楽師として採用。◆ 1653年、ベルガモの大聖堂
37歳でヴェネツィア共和国ベルガモのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂楽長に就任。◆ 1657年、ボローニャの大聖堂
41歳で教皇領時代のボ
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