《無為=脱作品化する芸術》の思想。
《肉体は、語らない。ただ踊る。踊りのなかで語るのだ。(……)そして肉体はそのことにおいて無知であり、非知である。》(室伏鴻)
肉体とともに言語の意味が無限に開かれるダンスは、いかなる強度をもった芸術なのか。「無為」「身体」「ダンス」の3部から多角的に論じ、現代思想の中心を貫くその問いの射程を眺望するプロジェクト。
《アンチ・ダンスであろうと、ノン・ダンスであろうと、名称はどうでもいい(……)アンチ・ダンスはもちろん普遍性などにはこだわらないが、決して個的な独創性に執着するものでもない。それがある共同性の追求でもあり、政治的な要求でもあったことは、決してみすごせない。そして「為さない行為」としてのアンチ・ダンスは、まさに「無為」の追求でもある。》(宇野邦一「まえがき」より)
まえがきーーアンチ・ダンスへの註釈(宇野邦一)
踊り、為す無為(室伏鴻)
I 無為
『ダンスの無為』について(フレデリック・プイヨード)
ダンスを廃絶するダンスーー室伏鴻とバタイユ(江澤健一郎)
無為、衰弱体、共同体(宇野邦一)
II 身体
動いてはならないーー室伏鴻(鈴木創士)
Dial M (for Dancer)--あるいは旅、零時、変奏(堀千晶)
身体のゼネストに向けて(田崎英明)
苛烈な無為という輪奈(鴻英良)
III ダンス
室伏鴻と無為(越智雄磨)
我々は息をして突っ立っている死体であるーー真夜中の0度の身体(竹重伸一)
不可能な身体(ジョナタン・カウディーヨ)
石の震えーー室伏鴻の「苛烈な無為」について(フレデリック・プイヨード)
木乃伊の舞踏ーー室伏鴻(土方巽)
あとがきーー無為のアンチ・ダンス(江澤健一郎)
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