『思索私記』と『方法序説』(第1部)の読み方を中心に考察、前者では“デカルト哲学”の構築に向けて彼が模索した日々の思索の記録を丹念に分析し、後者では“デカルト哲学”がどのように開眼したかを解明する。これら二つの文献は、『思索私記』はラテン語で『方法序説』はフランス語で書かれたが、このような対蹠的な述作を通して、テクスト的に“知られざるもの”に光をあて、テクスト理解における陰の部分を明らかにする。さらにはわが国のデカルト研究で見落とされ、“知られざる”ままに放置されているデカルト作品の文献学-書誌学的な研究やデカルトの伝記研究について探索と解明の一端を示すとともに、デカルト研究史を辿ることにより、今日の研究の歴史的位置づけを試みた、著者の半世紀におよぶ研究の結実。
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