まさにこのありありとある私ただひとつがある。それは端的な私であり、けっして記憶や性格でもなければ、一般的な意識や精神や魂と呼ばれるものでもないのだが、言葉で語ろうとすると簡単にたくさんある私のなかのひとつとなり、一般的な心というもののひとつの個別事例になって、見失われてしまうのだ。
この私という説明不可能な例外的存在者が現に存在してしまっている、という端的な驚きを起点につむぎだされる独創的思索の広大な射程。長い哲学の歴史のなかで見逃されてつづけてきた、しかし根本的な問題を発見し探究しつづける哲学者・永井均の最新の思索は、私・今・現実の不思議を新たにゼロから徹底的に考えぬく。仏教やインド思想の無我・真我を論じる付論を付す。
レビュー(2件)
初読の感想です。「世界の独在論的存在構造」というこのタイトル自体が的確にこの本の内容を現していると思いました。この本での思考の試行はその構造を探求することに向かっていて、それがゆえに微妙に違いながら同じテーマを螺旋状に思考試行するような進み方をするので、それで最初のうちは「なぜここでもうこうだと、これ以外なかろうと、そういうところが見えているのにまた、螺旋で考えていかなくてはならないのか。読みにくい。」と感じる所がありました。が、それは哲学者の関心と(とりあえずわたしという)読者の関心のありどころが違うだけで、この本は哲学する本なのだとそのうちに腑に落ちました(哲学書はあまり読んだ事がありません)。他者のわかりえなさ、「わたし」のわかりえなさ、それがありながらの社会生活の在り様の捉え方・考え方というところに自分の関心はあるのですが、そこを考えるのにこの本で探求されているところのこの「存在構造」の認識は必要不可欠なのではと考えています。ここを飛ばしてしまっているからこそ、いままで読んできたものに、飛躍や決めつけを見出しては納得できずにきたのかと思いました。