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序 緒 論 第一編 死に至る病とは絶望のことである。 一 絶望が死に至る病であるということ。 A、絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。──絶望して、自己をもっていることを意識していない場合(非本来的な絶望)。絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。絶望して、自己自身であろうと欲する場合。 B、絶望の可能性と現実性。 C、絶望は「死に至る病」である。 二 この病(絶望)の普遍性。 三 この病(絶望)の諸形態。 A、絶望が意識されているかいないかという点を問題とせずに考察せられた場合の絶望。したがってここでは綜合の諸契機のみが問題となる。 a、有限性と無限性との規定のもとに見られたる絶望。 α、無限性の絶望は有限性の欠乏に存する。 β、有限性の絶望は無限性の欠乏に存する。 b、可能性と必然性の規定のもとに見られたる絶望。 α、可能性の絶望は必然性の欠乏に存する。 β、必然性の絶望は可能性の欠乏に存する。 B、意識という規定のもとに見られたる絶望。 a、自分が絶望の状態にあることを知らないでいる絶望。換言すれば自分が自己というものを、しかも永遠的な自己というものを、もっているということに関する絶望的な無知。 b、自分が絶望の状態にあることを知っている絶望。それでここではひとは自分が自己(したがってまた或る永遠的なるもの)をもっていることを意識している、そして絶望して自己自身であろうと欲しないか絶望して自己自身であろうと欲するかのいずれかである。 α、絶望して自己自身であろうと欲しない場合──弱さの絶望。 1、地上的なるものないし地上的なる或る物に関する絶望。 2、永遠的なるものについての絶望ないしは自己自身に関する絶望。 β、絶望して自己自身であろうと欲する絶望──強情。 第二編 絶望は罪である。 A、絶望は罪である。 第一章 自己意識の諸段階(「神の前に」という規定のもとにおける)。 附論 罪の定義が躓きの可能性を含んでいるということ。躓きに関する一般的考察。 第二章 罪のソクラテス的定義。 第三章 罪は消極性ではなしに積極性であるということ。 Aの附論 けれどもそれでは罪は或る意味では非常に稀なことにならないであろうか?(倫理) B、罪の継続。 a、自己の罪に関して絶望する罪。 b、罪の宥しについて絶望する罪(躓き)。 c、キリスト教を積極的に廃棄し、それを虚偽なりと説く罪。 解 説 訳 註
レビュー(76件)
読書日記
2016年11月24日読了 論文みたいな随筆。昔の。普通。 すっかり忘れた。 読んでいるときなんか思ってたような気がするけど、忘れた。 第一編のタイトルが「死に至る病とは絶望のことである」、第二編が「絶望は罪である」というタイトル。「絶望は罪である」という言葉だけは、すごい共感できる。
特にこれといった問題はありませんでした。
ある日、キルケゴールが話題に出たので、衝動買いしました。 こんどは、くじけずに読みます。
カウンセリングの勉強の一環として
カウンセリングの勉強の一環として購入しましたが、とても難しく途中で断念。素直に頭に入ってくる箇所もあるので、がんばってみましたが、半分くらいでギブアップ。本には、また読みたくなるまで待っててもらいます。
死にいたる病とは絶望のことである
授業で使うと言う事で家族のために購入しました。 一括りに哲学書と言うよりも、宗教学の色合いも強い。 時間と頭に余裕がある時に読みたい本です。