【輸入盤】『ミケランジェロ歌曲集〜ショスタコーヴィチ、ブリテン』 ミルコ・パラッツィ、マルク・ミルホーファー、マルコ・スコラストラ
ショスタコーヴィチは原詩のイタリア語に戻しての歌唱!
ショスタコーヴィチ、ブリテン:ミケランジェロ歌曲集
パラッツィ(バス)、ミルホーファー(テノール)、スコラストラ(ピアノ)
絵画・彫刻・建築で活躍したフィレンツェの天才、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)は詩人でもあり、約300のソネットやマドリガーレを遺しています。作品にはさまざまな感情やできごと、風刺、抗議、愚痴、下ネタから宗教的なものまでさまざまなことが描かれていて、親しい人とのやり取りに使われたほか、詩人同士のソネット交換も多かったようです。
それら韻文作品は作曲家の創作意欲もかき立てるようになり、同時代から現代まで数多くの作品が書かれていますが、ここではショスタコーヴィチとブリテンによる作品を収録。
歌はブリテン作品が、イギリス人テノールのマーク・ミルホーファーで、ショスタコーヴィチ作品がイタリア人バス歌手のミルコ・パラッツィ。ショスタコーヴィチでは、エフロスによるロシア語翻訳を原語のイタリア語に戻してリズムを調整して歌っています。 ブックレット(英語・8ページ)には、音楽評論家のサンドラ・カッペレットによる解説などが掲載。
ショスタコーヴィチ作品
ショスタコーヴィチは1966年にモスクワでピアーズが歌ったブリテンの「ミケランジェロの7つのソネット」を聴いて感銘を受け、故アブラム・マルコヴィチ・エフロス(1888-1954)がロシア語翻訳していた詩集を探し出して11編のソネットを選択。
元はタイトルが無かったのでそれぞれに独自のタイトルを付け、独自の順序で並べ替え、一部翻訳を変更して1974年に「ミケランジェロ・ブオナローティの詩による組曲」として完成し、妻イリーナに献呈。初演は1974年12月23日で、翌年1月31日にはオーケストラ伴奏版も完成し初演。
ブリテン作品
1938年9月のミュンヘン会談で、英仏伊首脳がドイツによるチェコスロヴァキアのズデーテン地方併合を認めたことがきっかけになり、1939年3月にはドイツ軍がチェコスロヴァキアに進駐し、4月にはドイツがポーランド不可侵条約を破棄。開戦は誰の目にも明らかになったため、ブリテンは1939年6月にテノールのピーター・ピアーズと共に渡米し、兵役忌避者としてアメリカやカナダに滞在。1940年4月から10月の間にこの作品を作曲しています。
しかし1941年12月にアメリカも参戦したことから、ブリテンは1942年4月にイギリスに戻ります。帰国後、「良心的兵役拒否者」として認定するよう申請するものの認められず、非戦闘員として兵役に就くよう要求されたため、不服申立てにより兵役免除を獲得しています。
「ミケランジェロの7つのソネット」は、アメリカ滞在中の1940年に作曲したもので、テキストはイタリア語。試演ののち翌1941年にはアメリカで録音し、1942年にイギリスに戻った際に公式初演。
ミケランジェロの詩に付曲した作曲家たち
ペーリ、マリーニ、トロンボンチーノ、アルカデルト、ウォルフ=フェラーリ、ピツェッティ、ダラピッコラ、ヴォルフ、R.シュトラウス、ラインベルガー、プフィッツナー、ライマン、リーム、E.J.ヴォルフ、ミャスコフスキー、ショスタコーヴィチ、ブリテン、ラウス、ラダーマン、クラウド、フサ、トヴァルドフスキ、エルコレカ、C.フェラーリ、ファルリン、トリュンプ等。
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演奏家情報マーク・ミルホーファー (テノール)イギリス生まれ。オックスフォード大学モードリン・カレッジとロンドンのギルドホール音楽演劇学校で声楽を学び、英国ユース・オペラで「泥棒かささぎ」のジャンネット役でデビュー。その後イタリアでレナータ・スコットとレイラ・ジェンチェルに師事。
パルマのレッジョ劇場で「チェネレントラ」に出演して国際的にデビュー。以後、イタリア・オペラ、イギリス・オペラ、バロック・オペラ、現代オペラなどに出演。
ミルコ・パラッツィ (バス)イタリア生まれ。ロッシーニ音楽院で学び、イタリアのベルカン
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