水俣病患者は病だけでなく、責任企業や行政に振り回され続け、差別され、分断され、まさに苦界の道であった。関西に移住していた患者たちがチッソ・熊本県・国の責任と賠償を求めて1982年に提訴したチッソ水俣病関西訴訟は2004年の最高裁で行政責任を認めさせ、多くの未認定患者救済の道を切り開いた。しかし、1959年末までに移住した8人には国・県の責任を認めず、厳しい国の認定基準も否定しなかった。最高裁判決後にやっと県から認定された患者は6人に過ぎず、さらにチッソは裁判で決着済みと1973年に締結した補償協定の実行も拒否した。最高裁判決後も国・県・チッソの責任を問い続けた患者たちの受難の道を辿る聞き書きの続編。
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