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ターニングポイントは1965年だった! 私たちの自然観、死生観にそのときどんな地殻変動がおきたか? 「キツネにだまされていた時代」の歴史をいまどう語りうるのか? まったく新しい歴史哲学講義。(講談社現代新書) ターニングポイントは1965年だった! 私たちの自然観、死生観にそのときどんな地殻変動がおきたか? 「キツネにだまされていた時代」の歴史をいまどう語りうるのか? まったく新しい歴史哲学講義。 第1章 キツネと人 第2章 1965年の革命 第3章 キツネにだまされる能力 第4章 歴史と「みえない歴史」 第5章 歴史哲学とキツネの物語 第6章 人はなぜキツネにだまされなくなったのか
レビュー(66件)
そそめられたので手元に取り寄せました。とても読みやすく面白いです。
一読して、中世史家・網野善彦氏と共通するものを強く感じた。 この本の2年ほど前に出版された、白水智著「知られざる日本 山村の語る歴史世界」も同じ「山村社会」を取り上げたものだが、「文献史学者」と「哲学者」の「共通性」「違い」が非常に興味深かった。 ただ、「修験道の信仰の核心は、教義ではなく修行にある。自然の中での修業がこの信仰のすべて」(修験道の「自然観」「人間観」等は「教義」以外の何ものでもなく、その「教義」があって初めて修行、宗教的行為たり得るのでは?)とか、「村の自然」絶対主義、原理主義的論旨は、「直観」的に腑に落ちなかったw 村の自然=里山は、「人間によってバランスの保たれた『人間にとって都合のいい自然』『循環する半農場』」だと思うしw、「農業」自体「自然」破壊だろうw 野菜の新芽の「間引き」作業に罪悪感を感じつつも、山を見ながら「あのあたりは、もう少し木を切った方がいいと思う場所もある」と書いたりw、「現在の問題意識に縛られた知性」に頼らない「直観」による執筆、なのかな~?とも感じたw