臨床経験50年の精神科医が提案する「もう一つの医療」
数値やデータだけでは対処できない人間のストレスと向き合うには
「診察を受けても、医者が患者である自分の顔を見てくれず、電子カルテの画面ばかり見ている」とはよくある患者の不満。データ重視の線形理論では患者と向き合えないと考えた精神科医による、ストレスの正体と患者に真に向き合ってきた記録。
50年もの臨床経験から導き出した論理とは
副題の〈非線形理論の応用〉という文字を見ると一見、難しそうに思えてしまうが、まえがきにもあるように、複雑な事象を科学的に理解しようとする方法の一つだという。本書は長く精神科の臨床にかかわってきた著者の挑戦。非線形理論と対照をなす「線形理論」、つまり〈データや事実を積み重ねて規則性を見出し、因果関係を明らかにしようとしてきた〉方法では解明しきれない現象を、そうでない方法で、ストレスについて解きほぐしていこうとするものだ。
50年の臨床経験。それでも医学や臨床では〈患者さんの心が理解できたとは思えない〉という。これだけ科学が進歩し、症例が集まり、患者と向き合ってきてもそう述べる著者の姿勢には、むしろ医師としての良心を強く感じる。
そのことは本書のあらゆるところからも感じられる。同僚の医師から頑固な強迫症の患者の治療を依頼されたことをきっかけに、かつて試みた「嫌悪刺激療法」という新しい治療法を試し、理論的裏付けを求めて他分野ーー情報科学、神経科学、電気通信科学などーーの門を叩いたという。
さらには〈より患者さんの立場に立った医療を行える病院をつくろうと、仲間の協力を結集して設立した藍里病院に移り、精神医学の実践をさらに深めていく決意〉をしたという。
著者は、人体や精神だけでなく社会に対する理解も深い。〈弱者が受け容れられる世の中へ〉という項で、著者はこう述べている。
〈⼈体では、ストレス状態となるとまず機能不安定な部位あるいは機能脆弱な部位に影響が出てきます。例えば︑頭痛持ちの⼈はストレスが加わると、まず頭痛が起こります。下痢をしやすい⼈はストレスが溜まるとまず下痢をします。⼀⽅、社会構造の⽭盾は初めに社会的弱者にその影響がでてきます。公害病患者(有機⽔銀中毒、⼤気汚染による喘息、放射能による癌、奇形児など)や、負傷者(爆発事故、交通事故)、ストレスによる障害者などは、社会⽭盾の犠牲者といえるでしょう〉
つまり社会とは、人体と同じく一つの有機体であり、ストレスを受ければ人体の弱い部分に何らかの症状が出るように、社会も問題を抱えればその影響は社会的弱者に真っ先に負の影響が及ぶと述べているのだ。
ストレスフルな現代にこそ必要な観点
社会で暮らす誰もが、強いストレスにさらされる現代。第二章の〈ストレスに巻き込まれる人々〉で紹介される、実際の症例、患者さんの状況を読むと、誰でもどこかしら自分の身にも覚えのあるような事例が見つかるのではないだろうか。
夫のギャンブル癖に悩まされる女性。真面目過ぎるあまり、職場環境で受けるストレスで心のバランスを崩してしまった女性。何度も何度も、仕事や生活の細目を確認しなければ気が済まなくなってしまった男性。職務上の出来事をきっかけに閉所恐怖症に悩まされるようになった男性……。
ふとしたことをきっかけに、心を患ってしまった人たちと、それに相対する著者の治療と姿勢。精神医学も科学の領域である一方、データや数値だけでは測れない「人の心」を扱うこととはどういうことなのか、自分の心を守るにはどうしたらいいのか。専門的なテーマではあるが、著者の優しい語り口にいざなわれて、前提知識がなくても読める本書。ストレスと戦う多くの人に届いてほしい。
文・梶原麻衣子
【著者プロフィール】
山下 剛利(やました・たけとし)
昭和15年、徳島県生まれ。 徳島大学医学部卒業。 同大学附属病院精神科神経科助手を経た後、 平成4年、医療法人あいざと会理事長に就任。 平成15年、同法人あいざとパティオクリニック院長を兼務。 平成18年、同理事長を定年退任する。 現在、同法人あいざとパティオクリニック名誉院長。 昭和49年〜平成6年、日本精神神経学会理事、 昭和49年~平成9年、同学会の「精神医療と法に関する委員会」委員長。
主な著書に、『精神衛生法批判』(日本評論社) や 『強迫神経症の治療』(共著:金剛出版)などがある。
医療法人あいざと会・藍里病院
同法人あいざとパティオクリニック
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