千二百年前、琵琶湖の西南の地、大津宮が壬申の乱後一挙に紀伊半島を南下し飛鳥の地に都を遷した。それから僅か百二十七年間に都が変わること五回に及び漸く京都に平安の地を得るまでに、何があったのか。大仏鋳造の原料である銅・金・銀・水銀の鉱石精錬、さらに多数の工事人の糞尿の排泄等による、鉱毒と汚染には全く無知であった。至福を求めるための仏像建立が環境破壊と病毒を出現させ、ついに都を逃げ出さなければならなくなったという皮肉な事実に遭遇したのである。そこには国土の疲弊と人心の荒廃という遷都の実態が垣間見えてきたのである。
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