【輸入盤】プッチーニ/ワーナークラシックス・エディション(23CD)
見事な作曲と心を打つ物語で知られ、
今でも最も愛されているオペラ作曲家のひとりであるプッチーニの、
最も有名なオペラの傑作と、あまり知られていない作品も収録された記念ボックス
プッチーニ没100年記念ボックス。ジャコモ・プッチーニは、その見事な作曲と心を打つ物語で知られ、今でも最も愛されているオペラ作曲家のひとりです。オペラ愛好家と初心者の両方のために作られたこのコレクションには、彼の最も有名なオペラの傑作と、あまり知られていない逸品が集められています。各オペラは、世界クラスのオーケストラ、指揮者、歌手による素晴らしい演奏で収録され、プッチーニの遺産を定義する感情の深さと音楽の輝きを捉えています。プッチーニの天才を巡るこの旅を完了するために、『グローリア・ミサ』や、マリア・カラスの象徴的な1954年の公演などのいくつかの有名なリサイタルも収録。
1858年12月22日、トスカーナ州ルッカに生まれたプッチーニは、音楽の伝統が色濃く残る一家の出身です。彼の初期の音楽教育は家族の伝統に影響を受けていましたが、1876年にヴェルディの『アイーダ』の公演を観たことが、オペラの道を志すきっかけとなりました。
プッチーニはミラノ音楽院で学び、そこで作曲の腕を磨きました。彼の最初の大ヒット・オペラである『マノン・レスコー』は1893年に初演され、彼は重要な作曲家としての地位を確立しました。この成功に続いて『ボエーム』(1896年)、『トスカ』(1900年)、『蝶々夫人』(1904年)など一連のオペラの傑作が生まれました。これらの作品は、豊かなオーケストラ、記憶に残るメロディ、深い感情の共鳴で高く評価されています。1910年、プッチーニはニューヨークで『西部の娘』を初演し、国際的な名声をさらに確固たるものにしました。彼の最後のオペラ『トゥーランドット』は、1924年に彼が亡くなった時点で未完成のままでしたが、後にフランコ・アルファーノによって完成されました。
プッチーニは咽頭がんの合併症により、1924年11月29日にベルギーのブリュッセルで亡くなりました。叙情的な美しさ、劇的な激しさ、深い人間の感情を伝える能力を特徴とする彼のオペラは、世界中で愛され続け、歴史上最も偉大なオペラ作曲家のひとりとしての地位を確立しています。
※歌詞対訳は付属しません。(輸入元情報)
【収録情報】
Disc1-2 マノン・レスコー
第1幕 フランス。アミアンの宿屋の前
デ・グリューは、学生や娘たちが集まる宿屋で、大蔵大臣ジェロンテに伴われたマノン・レスコーに一目ぼれします。しかし、彼女が明日、修道院に入ることを知り、夜更けに落ち合い一緒に逃げる約東をとりつけます。
一方、ジェロンテ大臣もマノン・レスコーを連れ去る計画を練っていましたが、そのことに気付いたデ・グリューは、先にマノン・レスコーとパリへ逃げてしまいます。
第2幕 マノンの家
デ・グリューとの貧しい生活に耐えられなくなったマノン・レスコーは、ジェロンテ大臣の愛人になります。ですが、デ・グリューのことが忘れられず、彼と一緒に逃げようとしますが、ジェロンテ宅の宝石などを持ち去ろうとして逮捕されてしまいます。
第3幕 ル・アーヴル港
デ・グリューはマノン・レスコーを助け出そうとしますが失敗。マノン・レスコーは売春婦の罪を着せられてアメリカに追放されることになってしまいます。デ・グリューは、マノンを送る船の船長にかけあい、一緒にアメリカに渡ることになります。
第4幕 ニューオーリンズ。荒野
アメリカで生活を始めたマノン・レスコーとデ・グリューでしたが、ここでも問題を起こしてしまい、荒野に逃げることになります。疲労したマノン・レスコーは歩けなくなり、デ・グリューは水を探しに行きますが見つからず、マノンはついに亡くなってしまいます。デ・グリューはマノン・レスコーを抱きしめながら号泣して終わります。
● 歌劇『マノン・レスコー』全曲
モンセラート・カバリエ(ソプラノ)
プラシド・ドミンゴ(テノール)
ノエル・マンジャン(バス)
ビセ
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