【輸入盤】ポストホルン・セレナード ラインハルト・ゲーベル&ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
歴史的情報準拠演奏実践(HIP)のパイオニアとモーツァルテウムの共演
モーツァルト:ポストホルン・セレナーデ
ラインハルト・ゲーベル指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団がベルリン・クラシックス・レーベルと共同で2023年8月に開始した6部作シリーズのうちの5作目。このアルバムで、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団は同楽団のルーツに戻り、再びモーツァルトの作品に取り組みます。
オーケストラを率いるのは、2010年にアーノンクールの後任としてザルツブルク・モーツァルテウム音楽院の歴史的演奏実践の教授に就任していたドイツ人指揮者ラインハルト・ゲーベルです。
歴史的演奏実践について広範な知識を持ち、バロックから後期古典派までの多くの作曲家や作品に精通しているゲーベルは、一見馴染みのある作品に新鮮な視点を取り入れ、20世紀に肥大化した演奏様式から楽団を解放してきた実績の持ち主。
▶ Berlin Classics 検索 演奏家情報ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団楽団員数91名のフルサイズ・オーケストラですが、モーツァルトを中心としたコンサートや各国へのツアーなどでは少なめの編成となる場合が多かったため、室内オーケストラとして広く知られています。
その歴史は長くすでに180年を超えており、所属組織のことや社会的・宗教的な背景などややこしい部分もあるので、以下、ザルツブルクの統治史と、モーツァルテウム誕生の根本要因となったマリア・テレジアの改革など時系列で簡単にまとめておきます。ちなみにザルツブルクは高地ドイツ語では「サルツブルク」ですが、すでに「ザ」で普及しているため、ここでもザルツブルクとしておきます。 ザルツブルク統治略史1328-1800 ザルツブルク大司教領 (約472年)
ザルツブルク大司教によって統治されたカトリックの独立した領邦。1800-1801 占領 (約4か月)
フランス革命戦争により1800年12月から1801年4月までフランス軍が占領。1801-1809 オーストリア領 (約8年)
1801年2月のリュネヴィルの和約により、オーストリア領のトスカーナ大公国をフランスに割譲する替わりに、ザルツブルク大司教領がオーストリアに編入。
1803年2月にはザルツブルク大司教領が世俗化され、大司教の統治権が無効化し、神聖ローマ帝国の代表者会議を経て4月にザルツブルク選帝侯領が成立。
しかし、1805年12月のアウステルリッツの戦いでオーストリア軍が敗北したため、戦後処理のプレスブルクの和約により、ザルツブルク選帝侯領は解体。
1809-1810 フランス領 (約1年)
1809年10月、シェーンブルンの和約により、翌1810年10月までフランス領に編入。
1810-1816 バイエルン領 (約6年)
1810年10月、シェーンブルンの和約により、バイエルン王国に割譲。
1816-1938 オーストリア領 (約122年)
1816年、ミュンヘンで締結された条約により、ザルツブルクのかつての大司教領部分はオーストリア領に復帰。1849年にはザルツブルクはザルツブルク公国となり安定。この状態が1918年のオーストリア=ハンガリー帝国崩壊まで継続し、1918年以降はザルツブルク州としてオーストリア共和国に帰属。
1938-1945 ドイツ領 (約7年)
1938年、ドイツによるオーストリア併合に伴い、ザルツブルク大管区が設置。1945-1955 占領 (約10年)
1945年、アメリカ占領軍政府による統治が開始。1955年のオーストリア主権回復まで継続。1955-現在 オーストリア領 (約70年)
1955年5月、オーストリアが主権を回復。現在に至ります。 1774年 一般教育令イエズス会解散
1773年、ローマ教皇クレメンス14世がイエズス会を解散(1814年に再興)させたことで、カトリック
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