【輸入盤】弦楽三重奏曲、弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲 エオス四重奏団、ダーヴィド三重奏団、他(2CD)
若手による活気ある演奏で楽しむウォルフ=フェラーリ
ウォルフ=フェラーリ:弦楽三重奏曲、弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲
エオス四重奏団、ダーヴィド三重奏団、他
20世紀前半に活躍した作曲家、ウォルフ=フェラーリは、ドイツ人画家の父とイタリア人の母のあいだにヴェネツィアで生まれたドイツとイタリアの二重国籍者。ローマとミュンヘンで音楽と絵画を勉強し、主にオペラ作曲家として活躍したウォルフ=フェラーリの作風は、後期ロマン派のドイツの伝統に根ざしながらも、郷愁に満ちたイタリア風の叙情性に満ちたものです。室内楽や室内オケ曲などオペラ以外にも魅力的な作品が多く遺されており、Brilliant Classicsではこれまでいくつものアルバムをリリース済み。今回の曲目は弦楽三重奏、弦楽四重奏、弦楽五重奏というもので、さまざまな時期の作風を味わうことができます。
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作曲者情報◆ エルマンノ・ウォルフ=フェラーリ [1876-1948]
ローマとミュンヘンで音楽と絵画を勉強し、主にオペラ作曲家として活躍したウォルフ=フェラーリは、ドイツ人画家の父アウグスト・ウォルフ[1842-1915]とイタリア人の母エミーリア・フェラーリのあいだに北イタリアのヴェネツィアで生まれたドイツとイタリアの二重国籍者。
父アウグスト・ウォルフは、ミュンヘンのアドルフ・フリードリヒ・フォン・シャック伯爵[1815-1894]の依頼により15〜16世紀のイタリア絵画を模写するためにイタリアに長期滞在(イタリアと高地ドイツ語圏であるバイエルン、オーストリアの生活者なのでヴォルフではなくウォルフとしておきます)。
イタリア語に改名
エルマンノの洗礼名はヘルマン・フリードリヒ・ウォルフでしたが、シャック伯爵がローマで1894年に亡くなった翌年にウォルフ家がウォルフ=フェラーリと改姓したことから、ヘルマンも「エルマンノ・ウォルフ=フェラーリ」と改名。
作曲で成功
ウォルフ=フェラーリは、合唱指揮者として生計を立てながら、1902年にはオペラ「チェネレントラ」によりまずドイツで成功し、同年にヴェネツィアのベネデット・マルチェッロ音楽院の院長に26歳で就任。翌1903年には巨大なカンタータ「新生」が大きな話題となり、同年のオペラ「金の鳥かご」、1906年のオペラ「詮索好きな女たち」と「4人の田舎者」によってさらに名声を高め、マーラーやフェリックス・モットル、トスカニーニ、エルンスト・フォン・シューフらの支持も獲得。
1909年には音楽院を退職して作曲に専念し、「スザンナの秘密」(1909)、「マドンナの宝石」(1911)、「恋する医者」(1913)等、ドイツ、オーストリアを中心に大きな成功が続きます。
第1次大戦
しかし、第1次大戦が始まり、故郷イタリア王国が、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国との同盟を一方的に破棄して両国に宣戦布告すると、ウォルフ=フェラーリは困難な立場に置かれるようになり、チューリヒに移住。作曲を諦め画家に転身すべく多くの絵画を描いたりもしていました。
戦間期
第1次大戦が終わると、ウォルフ=フェラーリは再びドイツとイタリアでの二重生活に戻り、フリッツ・ブッシュやクナッパーツブッシュ、クレメンス・クラウスらにも支持されますが、かつてのような名声は戻りませんでした。
第2次大戦
第2次大戦中の1939年から1945年、63歳から69歳にかけては、ザルツブルクでモーツァルテウムの作曲科教授を務め、ミュンヘン、ヴェネツィア、ザルツブルクのほか、爆撃が激化するとザルツカンマーグートに疎開。
ちなみに、1943年10月からは、故郷イタリアは、ローマ以北の「イタリア社会共和国(ドイツ側)」と、南部の「イタリア王国(連合国側)」に分裂して争い、南部はドイツに宣戦布告してもいます。
演奏者情報◆ エオス四重奏団(クァルテット・エオス)
2016年にローマ・サンタ・チェチーリア音楽院で結成。2020年にはスイスのヴィンタートゥールで開催されたオルフェウス・コンクールで優勝。以後、イタリアやフランス、スイスで演奏し、2022年7月には、パリのサンジェル=ポリニャック財団から「アーティス
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