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慶応四年春、幕府軍は鳥羽伏見の戦いで敗れて瓦解した。江戸城無血開城を経て戦場は東北に移る。長岡での激戦、白河の攻防、日光口での戦い…。会津藩をはじめ奥羽越列藩同盟軍は各地で戦いつづけるが、薩長軍はついに国境を破り会津若松に突入、一カ月に及ぶ篭城戦がはじまる。なぜこれほどまで戦わねばならなかったのか。会津藩の危機管理、軍事・外交、人材育成を検証しつつ、戊辰戦争最大の悲劇を浮き彫りにする。
慶応四年春、幕府軍は鳥羽伏見の戦いで敗れて瓦解した。江戸城無血開城を経て戦場は東北に移る。長岡での激戦、白河の攻防、日光口での戦い…。会津藩をはじめ奥羽越列藩同盟軍は各地で戦いつづけるが、薩長軍はついに国境を破り会津若松に突入、一カ月に及ぶ篭城戦がはじまる。なぜこれほどまで戦わねばならなかったのか。会津藩の危機管理、軍事・外交、人材育成を検証しつつ、戊辰戦争最大の悲劇を浮き彫りにする。
レビュー(17件)
八重の桜で話題の戊辰戦争調査
会津戦争の真実が書かれており参考になった。
今「八重の桜」を見ていることもあり、「戊辰戦争」と一緒に購入。 勉強不足な事もあり、会津藩のイメージは京都守護職、新撰組の後ろ盾、ぐらい、江戸城無血開城~戊辰戦争・白虎隊など大まかな知識しかなかったので、色々勉強になりました。
慶応4年(1868)の会津鶴ヶ城の攻防戦を実に詳細に解説しており、その悲惨さは十分に実感できた。ただ地理的状況がよく分からず、かなり飛ばし読みをさせていただいた。会津藩の危機管理の欠如、情報戦略の失敗など、藩主・重臣の無策無能を辛口に著述しているのが特徴だ。後に板垣退助が述べているが、会津は上下の差別が厳しく庶民に不平不満が蓄積されていたため、国の存亡に際し、愛国心もなく離散し、さらには薩長に協力する者も多く出て、それが容易に降伏という事態を招いたようである。常日頃威張り散らし、特権を独占し、それがために民心を掌握できず、いくら危急の作戦とは言え平気で民家に放火して庶民を苦しめるのが会津武士道の一端だとしたら、それはあまりに情けない。
まだ読んでいませんが、楽しみであります。
1986年の年末時代劇スペシャルで「白虎隊」の存在を知り、京都や会津若松を何度も旅しました。幕末の時代、特にこの明治維新・戊辰戦争について語るならば、著者の星亮一氏の右に出る者は居ないでしょう。歴史の教科書やTVでは垣間見れなかった、鳥羽伏見の戦い~戊辰戦争最大の難関である若松城の落城までをじっくりと理解出来ます。