【POD】若き日のF・D・ルーズベルト 日米協調による太平洋平和構想を論ず
最近の歴史修正主義の潮流は、米国共和党系の立場から主張されたものである。その代表格ががF・D・ルーズベルト(民主党)大統領の政敵であったハーバード・フーバー大統領(共和党)の『フーバー回顧録ー裏切られた自由ー』(渡辺惣樹訳)を根拠とするものである。この潮流は『回顧録』の邦訳版の出版を契機として、日本でも大きな影響力を持つに至っている。フーバーの他にも、ルーズベルトの政敵であったハミルトン・フィッシュ『ルーズベルトの開戦責任』、歴史家のチャールズ・A・ビーアド『ルーズベルトの責任ー日米戦争は何故始まったかー』『戦争責任はどこにあるのか』、チャールズ・カラン・タンシル『裏口からの参戦』などの著書(邦訳)がどんどん出版されるに及んで日本国民に大きな影響を与えている。 本書は、これらの歴史修正主義に対する批判の書である。フーバーも、フィッシュも、ビーアドも、タンシルも、ルーズベルト批判のオン・パレードであるが、そのほとんどが、1933年の大統領就任以降のルーズベルトの外交政策に対する批判である。 筆者の立場は、1923年7月のF・D・ルーズベルトが発表した論文「Shall We Trust Japan?」(日本を信頼すべきか?)を検討せずして1933年の大統領就任以降のルーズベルトの外交政策は理解できないというものである。1923年のルーズベルトと1933年以降のルーズベルトとでは、その対日認識において180度の逆転現象が生じていることを明らかにしなくては、とんでもない歴史認識における誤りを犯すことになるという立場に立つ。 1921年のワシントン軍縮条約から、1930年に至るロンドン軍縮条約に至るまで、日本の政治指導者に対する米国政府の信頼は非常に大きなものがあった。ワシントン軍縮条約を推進した日本の原敬首相及び首席全権・加藤友三郎(海軍大将)に対するルーズベルトの信頼は絶大であった。またロンドン軍縮条約を推進した幣原喜重郎外相、首席全権の若槻礼次郎(後の首相)に対するスチムソン国務長官の信頼も絶大なものがあった。また1920年代は幣原喜重郎が主導した「幣原外交」が花開いた時期でもあった。幣原喜重郎は、ワシントン軍縮会議当時は駐米大使であり、また全権団の一員として首席全権の加藤友三郎(海軍大臣)をしっかり支えた。またロンドン軍縮会議においては、外務大臣として若槻礼次郎首席全権をしっかり支えた人物であった。 1920年代、ルーズベルトもスチムソンも日本の自由主義的傾向を持つ政治指導者に対しては、絶大なる信頼を寄せていた。歴史修正主義者は、この論点を全く無視しており、そこに歴史認識における大きな誤りがある。これを明らかにしようというのが本書の目的である。
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