この本に出てくるような残念な教員が多すぎる。そう言っている自分も常に気をつけていなければ残念な教員になってしまう。そう、残念な教員はだれでもなりうるのだから、自分が残念な教員かもしれないと常に自覚して一歩でも前進することを心がけるしかないですね。,ポイントがまとめてあってわかりやすい。若い先生の参考になる本です。,2015年に発生した岩手中二自殺事件が報道されていた頃にちょうど読んでいたのがこの書籍。自殺した中学生から再三SOSを受けていながら、それをほかの教師たちに相談していなかった担任の行動は世間から見れば理解不能だった。が、この書籍を読むと、その事情が何か見えてくるような気がする。 これを読むと、職員室にはいわゆる有機的なつながりを持った「組織」が存在しないことがわかる。校長や教頭を除けば、教師たちにはほとんど上下関係がない。しかも、その校長や教頭にしても、生徒たちと直接関わる機会が少ない分、どこかで現場の教師たちとは同じ職とはみなされていない。教鞭をとる現場主義を指向する者が多い教員にとっては、出世や肩書は必ずしも人心をまとめる吸引力にはならないからだ。そのため、上意下達のような上下関係も一般の世界よりはどこか希薄である一方で、同僚同士の横のつながりにもどこか遠慮がある。内政干渉、そんな感覚があるのかもしれない。 たとえて言うなら、教師たちは、「学校」という商店街で、「授業」というお店を開いている個人事業主のような感覚でいるのではないか。 自分のお店の経営について、ほかのお店の店主に相談を求めるなんてことはない。いじめもまた自分のお店の問題。ほかの店主に相談を求めるわけにはいかない。 個人事業主であればそれでもいいだろう。だが、本物の個人事業主は己の才覚如何で自分の店が傾き、倒産することだってあり得る。そういった危機感の中で必死に経営を行っている。 だが、教師はサラリーマン。不祥事さえ起こさなければ大した経営(授業)をしていなくとも、生涯安泰でいられる。この違いは大きい。 己の教師としての技量の練達、ひととしての成長を促すインセンティブが働かないまま教室では教師という王様でいられる。裸の王様という……。 己の成長を忘れたはだかの王様は、他人に対して尊大だ。そんな尊大な者たちに、いったい誰が真摯に相談を求めるだろうか。 岩手の事件の担任もまた、もしかすると、信頼できる相談相手を職員室の中に見出すことができず、孤独の中にあったのかもしれない。本人も教師として未熟だったことは間違いないが、未熟な教師をフォローできない職員室はもっとひどい。 そしてそれがこの国の教育現場ではいたって普通であること。 この本はそれを教えてくれる。一介の担任を責めるのはたやすいが、問題はもっと根深いように思う。,日本教育界に一石を投じる内容で一気に読みました。 ジュンジ先生が文部大臣になれば、素晴らしい日本教育界に 生まれ変われるのではないかと思います。 ジュンジ先生に教えを受けた生徒は幸せ者です!
レビュー(55件)
大変刺激的な本
この本に出てくるような残念な教員が多すぎる。そう言っている自分も常に気をつけていなければ残念な教員になってしまう。そう、残念な教員はだれでもなりうるのだから、自分が残念な教員かもしれないと常に自覚して一歩でも前進することを心がけるしかないですね。
ポイントがまとめてあってわかりやすい
ポイントがまとめてあってわかりやすい。若い先生の参考になる本です。
2015年に発生した岩手中二自殺事件が報道されていた頃にちょうど読んでいたのがこの書籍。自殺した中学生から再三SOSを受けていながら、それをほかの教師たちに相談していなかった担任の行動は世間から見れば理解不能だった。が、この書籍を読むと、その事情が何か見えてくるような気がする。 これを読むと、職員室にはいわゆる有機的なつながりを持った「組織」が存在しないことがわかる。校長や教頭を除けば、教師たちにはほとんど上下関係がない。しかも、その校長や教頭にしても、生徒たちと直接関わる機会が少ない分、どこかで現場の教師たちとは同じ職とはみなされていない。教鞭をとる現場主義を指向する者が多い教員にとっては、出世や肩書は必ずしも人心をまとめる吸引力にはならないからだ。そのため、上意下達のような上下関係も一般の世界よりはどこか希薄である一方で、同僚同士の横のつながりにもどこか遠慮がある。内政干渉、そんな感覚があるのかもしれない。 たとえて言うなら、教師たちは、「学校」という商店街で、「授業」というお店を開いている個人事業主のような感覚でいるのではないか。 自分のお店の経営について、ほかのお店の店主に相談を求めるなんてことはない。いじめもまた自分のお店の問題。ほかの店主に相談を求めるわけにはいかない。 個人事業主であればそれでもいいだろう。だが、本物の個人事業主は己の才覚如何で自分の店が傾き、倒産することだってあり得る。そういった危機感の中で必死に経営を行っている。 だが、教師はサラリーマン。不祥事さえ起こさなければ大した経営(授業)をしていなくとも、生涯安泰でいられる。この違いは大きい。 己の教師としての技量の練達、ひととしての成長を促すインセンティブが働かないまま教室では教師という王様でいられる。裸の王様という……。 己の成長を忘れたはだかの王様は、他人に対して尊大だ。そんな尊大な者たちに、いったい誰が真摯に相談を求めるだろうか。 岩手の事件の担任もまた、もしかすると、信頼できる相談相手を職員室の中に見出すことができず、孤独の中にあったのかもしれない。本人も教師として未熟だったことは間違いないが、未熟な教師をフォローできない職員室はもっとひどい。 そしてそれがこの国の教育現場ではいたって普通であること。 この本はそれを教えてくれる。一介の担任を責めるのはたやすいが、問題はもっと根深いように思う。
素晴らしい内容です。
日本教育界に一石を投じる内容で一気に読みました。 ジュンジ先生が文部大臣になれば、素晴らしい日本教育界に 生まれ変われるのではないかと思います。 ジュンジ先生に教えを受けた生徒は幸せ者です!