昭和29年から31年にかけての、神武景気(及び高度経済成長)に突入していく頃の東京を舞台とする物語。資産家の娘であるシングルマザー鏡子と、彼女の家に出入りしている知人男性4人のそれぞれの生き方が描かれます。登場人物の一人は悲劇的な死を迎えるので「豊饒の海」みたいに順番に死んでいくのか?と思うと・・・その一人を除けば、むしろ(若い頃にありがちな)頭の中だけで構築した人生観・世界観を卒業して「現実」と折り合い、ソフトランディングしていく姿が描かれているように感じました。当時の世相なども反映された、面白いストーリーだと思います。,題名の『鏡子の家』だが、これは「鏡子が主宰するサロン」のようなモノを示す。出て行ったのか、追い出したのか、夫が離れた信濃町の家に住む鏡子が在って、小学生の娘と暮らしている。この家を“サロン”のようにして、色々な青年達が出入りしている。本作ではその「鏡子の家」に出入りする主要なメンバーという感の4人、ボクサーの峻吉、俳優の収、画家の夏雄、商社マンの清一郎という人達の物語が展開する。 作中、鏡子と、峻吉、収、夏雄、清一郎は一緒に会って何かやっていたり、各々に会ったりはしているが、互いに深く関係しているとも言い難い。5人の主要視点人物の物語が折り重なっているかのような体裁で全体が進んでいる。物語の舞台となっているのは、冒頭の章に「1954年」と在って、作中で過ぎる季節から「1956年」までというように判る。 「きょうこ」という名はよく在る名かもしれないが「鏡子」はやや例が少ないかもしれない。これは「鏡子」を、時代や劇中人物達の人生を映す“鏡”のような存在としているという意図も在るらしい。 鏡子、峻吉、収、夏雄、清一郎の5人各々の物語が、半ば独立的に展開しているような感も在り、或いは“シリーズ”として別々な作品であっても違和感は少ないような気もしないではないが、それでもこれは「“鏡子の家”で出会った人達の、各々の人生」という「一つの長篇」でなければならないのだと思う。 誰しもが自身の中に或る種の“多面性”を内包しているような気がしないでもない。本作を読んでいて感じたのは、峻吉、収、夏雄、清一郎という作中人物達各々の性格、行動、辿る経過というモノが、「作者の三島由紀夫自身がその裡に秘めていた“多面性”」を反映し、象徴しているような感であるということだ。その“多面性”を半ば鏡子に重ねながら見詰めて綴っていたというような気がしないでもないのだ。 作中世界は「1954年から1956年」となっている。昭和30年頃となる。そして作品が著された時期は「1958年から1959年」であるという。或いは三島由紀夫は、自身とほぼ同世代から少し若い世代の青年達を一群の主要視点人物に据えながら、「自身の人生が在った時代」とか「自身の青年期」を纏めようとしていたのかもしれないというようなことも読みながら思った。
レビュー(9件)
昭和29年から31年にかけての、神武景気(及び高度経済成長)に突入していく頃の東京を舞台とする物語。資産家の娘であるシングルマザー鏡子と、彼女の家に出入りしている知人男性4人のそれぞれの生き方が描かれます。登場人物の一人は悲劇的な死を迎えるので「豊饒の海」みたいに順番に死んでいくのか?と思うと・・・その一人を除けば、むしろ(若い頃にありがちな)頭の中だけで構築した人生観・世界観を卒業して「現実」と折り合い、ソフトランディングしていく姿が描かれているように感じました。当時の世相なども反映された、面白いストーリーだと思います。
題名の『鏡子の家』だが、これは「鏡子が主宰するサロン」のようなモノを示す。出て行ったのか、追い出したのか、夫が離れた信濃町の家に住む鏡子が在って、小学生の娘と暮らしている。この家を“サロン”のようにして、色々な青年達が出入りしている。本作ではその「鏡子の家」に出入りする主要なメンバーという感の4人、ボクサーの峻吉、俳優の収、画家の夏雄、商社マンの清一郎という人達の物語が展開する。 作中、鏡子と、峻吉、収、夏雄、清一郎は一緒に会って何かやっていたり、各々に会ったりはしているが、互いに深く関係しているとも言い難い。5人の主要視点人物の物語が折り重なっているかのような体裁で全体が進んでいる。物語の舞台となっているのは、冒頭の章に「1954年」と在って、作中で過ぎる季節から「1956年」までというように判る。 「きょうこ」という名はよく在る名かもしれないが「鏡子」はやや例が少ないかもしれない。これは「鏡子」を、時代や劇中人物達の人生を映す“鏡”のような存在としているという意図も在るらしい。 鏡子、峻吉、収、夏雄、清一郎の5人各々の物語が、半ば独立的に展開しているような感も在り、或いは“シリーズ”として別々な作品であっても違和感は少ないような気もしないではないが、それでもこれは「“鏡子の家”で出会った人達の、各々の人生」という「一つの長篇」でなければならないのだと思う。 誰しもが自身の中に或る種の“多面性”を内包しているような気がしないでもない。本作を読んでいて感じたのは、峻吉、収、夏雄、清一郎という作中人物達各々の性格、行動、辿る経過というモノが、「作者の三島由紀夫自身がその裡に秘めていた“多面性”」を反映し、象徴しているような感であるということだ。その“多面性”を半ば鏡子に重ねながら見詰めて綴っていたというような気がしないでもないのだ。 作中世界は「1954年から1956年」となっている。昭和30年頃となる。そして作品が著された時期は「1958年から1959年」であるという。或いは三島由紀夫は、自身とほぼ同世代から少し若い世代の青年達を一群の主要視点人物に据えながら、「自身の人生が在った時代」とか「自身の青年期」を纏めようとしていたのかもしれないというようなことも読みながら思った。