【輸入盤】ピアノ・ソナタ集 シモーネ・ピエリーニ(フォルテピアノ)(3CD)
: クラーマー、ヨハン・バプティスト(1771-1858)
3種類のフォルテピアノを使用!
クラーマー:ピアノ・ソナタ集(3CD)
シモーネ・ピエリーニ(フォルテピアノ)
練習曲で有名なクラーマーは、ベートーヴェンと同世代で交流もあった人物。活動の主体はピアニストでしたが、ピアノ曲を中心に多くの作品も遺しています。
クラーマーのピアノ・ソナタは、今日では演奏される機会は少ないものの、その小気味良い技巧的な聴かせどころや、ベートーヴェンやバッハ、モーツァルト、クレメンティの影響を感じさせる親しみやすい作風はなかなか魅力的です。
総数約200曲ともいわれるピアノ・ソナタは、おそらく自身のリサイタルのために書かれているため、ほとんどの曲が1790年代から1820年代にロンドンやウィーンで作曲されています。
演奏は最近大活躍のピリオド鍵盤楽器奏者、シモーネ・ピエリーニによるもので、ウィーン製のフォルテピアノ、「コンラート・グラーフ」、「ヨハン・ハーゼルマン」、「マティアス・ミュラー」の3種類を使用しています。ピッチはA=430Hz。
ブックレット(英語・12ページ)には、演奏者のピエリーニによる詳しい解説のほか、使用楽器の写真も掲載。
▶ Brilliant Classicsのフォルテピアノ録音を検索 作曲家情報ヨハン・バプティスト・クラーマー(ジョン・バプティスト・クレイマー) [1771-1858]
神聖ローマ帝国、プファルツ選帝侯領の宮廷所在地マンハイムに誕生。父ヴィルヘルムはドイツ人音楽家、母アンジェリクはフランス人。3歳のときに母と弟のフランツ(フランソワ)[1772-1848 音楽家]とともに父の待つロンドンに移住し、以後、亡くなるまでイギリス人として生活。
父親
父ヴィルヘルム・クラーマー(ウィリアム・クレイマー)[1746-1799]はプファルツ選帝侯宮廷楽団のヴァイオリニストで、1772年にはコンサートマスターに昇格していましたが、同年に演奏旅行で訪れたロンドンで、ヨハン・クリスティアン・バッハ[1735-1782]からそのまま滞在するよう勧められ、ヴァイオリン演奏だけでなく、「バッハ・アーベル・コンサート」や、「エンシェント・ミュージック」、イタリア・オペラの指揮などでも成功し、そのままロンドンで暮らして27年後に同地で亡くなっています。修業
最初、父からヴァイオリンの指導を受けていましたが、やがて、父の友人のクレメンティ[1752-1832]らにピアノを習うようになり、1782年から1784年、11歳から13歳にかけては、同じく父の友人のカール・フリードリヒ・アーベル[1723-1787]らに作曲や理論を師事。1788年頃にはツアー先のパリでエレーヌ・ド・モンジュルー[1764-1836]にもピアノの指導を受けています。ピアニスト
1781年、10歳のときに父親の慈善コンサートでピアニスト・デビューして評判となり、1784年には13歳でクレメンティとのデュオ・リサイタルに出演。
17歳になった1788年にはフランスとドイツへのツアーに出かけ、各地に長期滞在しながら演奏し、3年後の1791年にロンドンに帰る頃には有名になっていて、ロンドン滞在中のハイドンと親しくなっています。また、ツアー開始直後にはパリでエレーヌ・モンジュルーの指導も受けています。
1799年から翌年にかけてヨーロッパ・ツアーを実施した際には、ベートーヴェン、フンメル、ドゥセク、ヴェーバー、カルクブレンナー、ケルビーニらとも交流。1800年にロンドンに戻ると結婚もし、練習曲の作曲にも着手。また、ツアーで知り合ったベートーヴェンの作品を、ロンドンで紹介してもいます。
クラーマーは1816年から1818年にかけて再びウィーンなどにツアーをおこない名声を高め、1822年にはロンドンの王立アカデミーの教師にも任命されています。
また、1835年、64歳のときにはピアニストとして盛大な引退コンサートをおこなって、以後はレッスンと作曲が中心となったようですが、1844年には自作のピアノ五重奏曲にピアニストとして73歳で出演しているので、室内楽演奏はおこなっていたのかもしれません。
作曲
1790年代からは作曲もおこない、9つのピアノ協奏曲や、膨大なソナタに加え、室内楽曲、ディヴェルティメント、そして数多くの練習曲なども作曲。
出版社
1805年に出版社「クラーマー&キーズ(クレイマー&キーズ)」を共同で設立。べートーヴェンのピア
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