昭和六年に北九州市の門司に生まれ、令和五年の九月十九日に同区で他界した、木村和彦という一人の高校教師の軌跡を長男である木村浩一郎が写真と文で辿った。
木村和彦は昭和二十七年に九州工業大学を卒業後、昭和二十八年より高校の物理の教諭となった。昭和六十三年に福岡県立門司高等学校を定年退職するまでの半生は、良くも悪くも「破天荒な、型破りの名物教師」として多くの人の印象に刻まれたという。
生徒のユニークな発想を導き出すような試みには余念がなかった。心を掴むようなエピソードをふんだんに持っていたために教室や会場には笑いが渦巻き、野外授業やスピーチなどを頼まれると小道具を持っていき、まるで大道芸人のように実演してみせた。私立学校を退職した後、昭和三十一年に福岡県立盲学校に赴任。自身が音楽を学びながら、この盲学校に働きかけて、ブラスバンド部を創設。生徒たちは上達して、演奏会を開くようになったのだが、そこでも彼にはさまざまな葛藤があった。
本書を編集した浩一郎は、本書にこう書き記している。
「父は、財を成し、あるいは名を残したような人ではありませんでしたが、何より誠実で、数多くの方々から慕われておりました。その型破りな部分に、人はあきれかえり、その一方で、そういう人だからこそ信じられ、好かれてもおりました。自分の意見を明確に主張し、ときにディベートに挑みアピールする。本音と建前がなく理路整然と話す。秘密をつくらない。言ったことを実行する。その態度はまるで日本人ではないようだとの声もありました。
あまりに急いで編集した荒削りなものですが、関門海峡を望む北九州市の門司に、このような型破りな高校教師がいたということを知っていただき、その志の魅力的な部分を受け継いでいただければ幸いです」
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