誰が何のために? 日本の外交の黒歴史を読む。 解説 森万佑子
1895年10月8日、朝鮮駐在特命全権公使・三浦梧楼指揮の下、日本の官僚と軍人が朝鮮王朝の王宮・景福宮に乱入し、王妃を殺害するという大事件が発生した。本書はその?末を詳述したもの。韓国でも翻訳出版され、大きな反響を得た。日本で「閔妃暗殺」と呼ばれるこの事件は韓国では「乙未事変」と呼ばれ、日本人にとっての「忠臣蔵」のように誰もが知る歴史的出来事となっている。一方、日本では歴史教科書への記載も少なく、認識している人も多くはない。いったい誰がなぜこのような凶行を計画したのか? 未来のために、日韓関係に深い傷を残したこの大事件の全容を知る。
レビュー(2件)
ここでは合わないような取材対象
嫌韓流方面では「三浦梧楼主犯説」を否定して「大院君主犯説」を称えているようだがバードの「朝鮮紀行」から「遅れた朝鮮」を取り上げる時には「都合のいい」ところを選り抜くくせして閔妃暗殺について定説通りの記述は「都合が悪い」ので無視を決め込むようだ。戦前の超訳「三十年前の朝鮮」では「大院君主犯説」に改竄しているのは、そういう事情だろう。 「閔妃暗殺」執筆当時は「梅泉野録」は国書刊行会から訳書が出る前なので韓国人から紹介されるところで出て来るのみで「尹致昊日記」は平凡社東洋文庫の邦訳者がコツコツと訳している段階だ。 取材対象者の中に「わが祖国」で「以前からよく知っている」人物として登場する李亨根大将の名前がある。「閔妃暗殺」という本に出て来るような名前ではないと思うが。角田房子は「一死大罪に謝す」を書いた昭和55年当時では阿南惟幾大将の息子達の陸士以来の友人で次男の戦死を間近で見たので阿南邸を訪れた李亨根を「松山というお名前の、朝鮮の方」と綾子夫人が語るところでのみ出て来て取材対象者の名簿には出て来ないところを見ると「以前からよく知っている」という関係になるのは「一死大罪に謝す」が刊行されてからのようだ。角田房子には日本陸士卒で唯一の韓国陸軍大将となった李亨根の伝記を書いてほしかったものだ。そうすれば飯尾憲士は航士卒だが李亨根とは陸士56期生の同期の崔貞根を主人公とした「開聞岳」で陸士56期生から教えられた李亨根を「取材する」と書きながら、それっきりのようなお手軽な事はしなかっただろうし、おそらく知らなかったのにしても沖縄での「天皇の軍隊」を書いた個所で外間守善と共に従軍していた陸士56期の金鍾碩を触れない事もしなかっただろう。