【輸入盤】交響曲第7番 ザンデルリング&シュトゥットガルト放送交響楽団(1999)
ブルックナー:交響曲第7番
ザンデルリング&シュトゥットガルト放送交響楽団
1999年リーダーハレでのデジタル録音。意外にもブルックナー録音の少ないザンデルリングですが、過去の第3番の凄い演奏にみられるように音楽的な適性は抜群です。
この第7番でも遅めのテンポ(70分強)で重厚な仕上げがほどこされたスタイルが特徴的ですが、ここでのザンデルリングには、3番でみられたような力みや力技は一切無く(あれはあれでまた魅力的でしたが)、作品の流れを自然に受け入れたかのような美しい進行がとても印象的で、特に前半2楽章の感動の深さはただごとではありません。
7番の旋律美と和声の魅力を非常に深いレベルで表現したみごとなアプローチであり、打楽器を使用せずとも十分過ぎるほどのエネルギー感で頂点をきわめる第2楽章の素晴らしさは、録音状態も含めて格別なものがあります。
後半2楽章も素晴らしく、武骨で逞しいスケルツォに、実演のザンデルリングならではの高揚感を満喫させるフィナーレが、前半2楽章の荘重な美をみごとに収斂しつつ解き放つさまは真に優れた演奏の証とも呼べるものでしょう。盛大なブラヴォーにも思わず納得です。(HMV)
【収録情報】
・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 WAB.107 [71:14]
シュトゥットガルト放送交響楽団
クルト・ザンデルリング(指揮)
【プロフィール】
重厚長大スタイルながら情感が非常に豊かな演奏を聴かせたドイツの大指揮者、クルト・ザンデルリングは、ヴァント[1912-2002]やチェリビダッケ[1912-1996]、ショルティ[1912-1997]、マルケヴィチ[1912-1983]と同年の生まれ。
2002年、90歳の歳に引退するまで積極的に指揮活動を展開するなど、老いてますます盛んなのはヴァントと同様でしたが、ザンデルリングの場合は独墺系基幹演目のほかにも、マーラーやショスタコーヴィチ、シベリウスなども重要なレパートリーとしていたのが大きな相違点でした。それにはザンデルリングが辿った音楽家としての道筋も大きく影響していたものと思われます。
1912年9月19日、東プロイセンのアリスに生まれたクルト・ザンデルリング(ザンデルリンクとも)は、個人教授を受けて音楽を学び、1931年にベルリン国立歌劇場の練習指揮者として採用。しかしユダヤ系ドイツ人だった彼はナチスの台頭を嫌って1935年にスイスを経てソ連に亡命、翌年、モスクワ放送交響楽団を指揮して正式なデビューを果たします。
ザンデルリングはこれをきっかけに同オーケストラの副指揮者に就任、その後、ハルコフ・フィルを経て1941年、疎開のためノボシビリスクに長期滞在中のレニングラード・フィルにムラヴィンスキー音楽監督のもと、指揮者陣の一人として迎えられます。
以後、1960年まで20年間続くこのレニングラード・フィル時代には、ムラヴィンスキーと共に同オケの黄金時代を築き上げ、数多くの演奏会を指揮、1958年には日本ツアーにも同行するなど活躍したほか、メロディア・レーベルなどへのレコーディングも相当数おこなっていました。中でもドイツ・グラモフォンに録音したチャイコフスキーの交響曲第4番は、ディスク大賞を受賞するなどザンデルリングの名を大いに高めてもいます。
1960年になるとザンデルリングは、東ドイツ政府からの要請により、設立間もないオーケストラであるベルリン交響楽団の首席指揮者に就任してレベル向上に努め、1977年の退任までのあいだに同オケの実力を一気に高めることになります。退任後も、このオケとの関係は深いものがあり、引退までの40年以上に渡って良好な関係が継続されました。
その間、ザンデルリングは1964年から67年にかけてはシュターツカペレ・ドレスデンの指揮者も兼務し、さらにゲヴァントハス管弦楽団とも密接な関係を保って、海外公演なども精力的に展開。
ベルリン交響楽団首席指揮者退任前後からは、世界各地のオーケストラを積極的に訪れ、日本でも1976年以来読売日本交響楽団に客演、1979年には名誉指揮者に就任し、以後たびたび来日して素晴らしい演奏を聴かせていました。
なお、夫人のバーバラはコントラバス奏者で、子息のトーマスとシュテファンは指揮者、ミヒャエルはチェリストという音楽一家でもあります。(HMV)
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