優秀な牧師に出会って聖書研究を始めて5年、歴史や当時の文化・風習に基づいた解釈を学べて、私の信仰生活は恵まれてきたと感謝している。 ただ、カトリック教会では全く体験しなかった、人間関係の激しい衝突に疲弊し「こんなふうに国語や歴史を勉強するように、聖書を読んでばかりいていいのだろうか。もっと自分の心の内面に焦点を当てるべきなのでは」積もる悩みからこの本に辿り着いた。 最初におもしろい!と思ったのは「聖書を読むことが既に祈りである」という考え方。「そうなのか、それならできる」と思った。祈りに集中できないとき、疲れて思考がまとまらないとき、聖書をじっくりゆっくり読むことが祈りだなんて。まさにタイトルの通り「目からウロコ」! そして、反芻して読むことがいいと聞いてホッとした。普段から私は情景が浮かぶまで同じ箇所を何度も読む。これでよかったのだ。この後、なぜこの箇所が私の心に響いたか?洞察を深めたり、神は何を私に教えようとしているのか?適用を見出したり、神と共にいる時間を感じる。これがレクチオ・ディヴィナ(入門)なら、一人でも大勢でも、誰でもできる。 プロテスタントの聖書研究も大切だが(指導者の自分勝手な解釈と説教による「教会のカルト化」を防ぐ効果は非常に高い)、それとは別に時間を作って、このレクチオ・ディヴィナというクリエイティブな聖書の読み方・祈り方が教会内で行われれば、精神的に自律した信徒が増え、もっと落ち着いたクリスチャン生活に成長するのではないかと思う。少なくとも私は、関わっている教会や信徒の問題に振り回されず、カトリックとプロテスタント両方のよいところを取り入れて、神に喜ばれる信仰生活(主イエスのように、慎ましく、麗しく、気品に満ちた生活)を心がけて歩みたい。,一語一語、意味を噛みしめながらゆっくりと聖書を読むことが、そのまま祈りであるという解説です。実際に、主日の福音朗読の箇所を、一語一語、ゆっくり読んだら、20分かかりました。こんなにじっくりと朗読箇所を読んだのは初めてでした。
レビュー(7件)
誰にでも理解できる易しい解説。
優秀な牧師に出会って聖書研究を始めて5年、歴史や当時の文化・風習に基づいた解釈を学べて、私の信仰生活は恵まれてきたと感謝している。 ただ、カトリック教会では全く体験しなかった、人間関係の激しい衝突に疲弊し「こんなふうに国語や歴史を勉強するように、聖書を読んでばかりいていいのだろうか。もっと自分の心の内面に焦点を当てるべきなのでは」積もる悩みからこの本に辿り着いた。 最初におもしろい!と思ったのは「聖書を読むことが既に祈りである」という考え方。「そうなのか、それならできる」と思った。祈りに集中できないとき、疲れて思考がまとまらないとき、聖書をじっくりゆっくり読むことが祈りだなんて。まさにタイトルの通り「目からウロコ」! そして、反芻して読むことがいいと聞いてホッとした。普段から私は情景が浮かぶまで同じ箇所を何度も読む。これでよかったのだ。この後、なぜこの箇所が私の心に響いたか?洞察を深めたり、神は何を私に教えようとしているのか?適用を見出したり、神と共にいる時間を感じる。これがレクチオ・ディヴィナ(入門)なら、一人でも大勢でも、誰でもできる。 プロテスタントの聖書研究も大切だが(指導者の自分勝手な解釈と説教による「教会のカルト化」を防ぐ効果は非常に高い)、それとは別に時間を作って、このレクチオ・ディヴィナというクリエイティブな聖書の読み方・祈り方が教会内で行われれば、精神的に自律した信徒が増え、もっと落ち着いたクリスチャン生活に成長するのではないかと思う。少なくとも私は、関わっている教会や信徒の問題に振り回されず、カトリックとプロテスタント両方のよいところを取り入れて、神に喜ばれる信仰生活(主イエスのように、慎ましく、麗しく、気品に満ちた生活)を心がけて歩みたい。
一語一語、意味を噛みしめながらゆっくりと聖書を読むことが、そのまま祈りであるという解説です。実際に、主日の福音朗読の箇所を、一語一語、ゆっくり読んだら、20分かかりました。こんなにじっくりと朗読箇所を読んだのは初めてでした。