32 歳で「週刊現代」編集長に抜擢!
脱がせの達人・名田屋と、
東映プログラムピクチャーの鬼才・内藤誠の白熱鼎談!
早稲田を1959 年に卒業。
講談社に入った名田屋、東映に入った内藤。
その年「週刊現代」創刊。「少年マガジン」に次ぐサラリーマン向け雑誌となった。
そして名田屋は1969 年「週刊現代」編集長に抜擢。
内藤は『不良番長・送り狼』で監督デビュー。
時代はまさに週刊誌の創刊ラッシュ。
それまで新聞社系が売れており、出版社が週刊誌を出しても
成功しないと思われていたが「週刊新潮」の成功で
他社も週刊誌を刊行していく。
小学館は「小学一年生」、それに対して講談社は「たのしい一年生」と
学年誌がぶつかり合っていたが、
それをやめて大人のライフスタイルの提案誌「週刊現代」を刊行。
講談社の立て直しが開始されたのだった。
【内容】
(1)新入社員
(2)松本清張と木村毅
(3)流行作家とのお付き合い
(4)題字の大きさ
(5)高見順と佐多稲子の週刊誌登場
(6)自分の足で稼ぐ
(7)サラリーマン相手の雑誌
(8)『青春の門』
(9)米国体験とベトナム戦争
(10)ヒッピー文化とサイケデリック
(11)大橋巨泉、安倍寧、野坂昭如
(12)寺内大吉、色川武大、黒岩重吾
(13)モーレツからビューティフルへ
(14)新聞と週刊誌の違い
(15)スキャンダル記事
(16)記事をめぐるトラブル
(17)国内留学
(18)快男児・松井勲
(19)牧野イズム
(20)光文社と神吉晴夫
(21)撮影現場のしごき
(22)文化大革命の時代
(23)日本版『ペントハウス』編集長
(24)ヌードはニュース
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