上杉愼吉は、これまで「天皇機関説論争」で、「立憲学派」の美濃部達吉と対峙した「神権学派」の憲法学者とされてきた。だがその上杉が、実は西洋的=「普遍」的潮流を見据えながらも、日本「固有」へと行き着いたことは知られていない。ドイツ史家の著者が、上杉の欧米社会との交流、中国旅行・欧米旅行を分析し、日本の主体性追求の煩悶を、上杉後継者や安倍晋三まで振り返る。
序 なぜ近代日本に「神権学派」が生まれたのか
第一章 東京帝国大学での洋学修練
1 加能越からの出発
2 東大法科での擡頭
3 教育活動の開始
4 研究活動の開始
第二章 ドイツ留学とドイツ帝国への傾倒
1 ハイデルベルク及びベルリンでの留学生活
2 アーデルスハイムでの隠遁生活
3 カールスルーエでの行政分析
4 帰国後の研究動向
第三章 天皇機関説論争と「神権学派」の旗揚げ
1 美濃部達吉の登場
2 天皇機関説論争の勃発
3 学問から政治への重心移動
第四章 第一次世界大戦とドイツ志向の隘路
1 吉野作造の擡頭
2 民本主義論争の勃発
3 『我が國』を通じた言論活動
4 上杉派学生の離合集散
第五章 社会学研究とアメリカ脅威論の鼓吹
1 中国旅行と西洋旅行
2 ドイツとの訣別
3 アメリカ合衆国への瞠目
4 社会学の構想
5 一君万民体制の夢
6 国家主義運動の展開と逡巡
第六章 歿後の思想的影響
1 突然の死
2 上杉門下生の実践活動と上杉憲法学の国家教義化
3 上杉思想の継承
4 第二次世界大戦・日本国憲法と上杉思想
跋 「国家は最高の道徳なり」の目指したもの
参考文献
あとがきーー第三次世界大戦の天王山
上杉愼吉略年譜
人名・事項索引
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