健気に頑張る、あるいは尊敬すべき障害者ーーメディアや映像作品でおなじみのイメージは、健常者の感動の道具として消費するだけの「感動ポルノ」なのではないか? 最近のそんな批判に対し、名作とされる映画からドキュメンタリー、パラ五輪まで個々の表現に分け入り、何が語られていないか、その可能性まで含めて考える。
はじめに
一 「感動ポルノ」から考える
二 障害者はどのように描かれてきたか
三 感動することで落ちてしまう穴とは?
四 パラスポーツの「パラ」が持つ意味を考える
五 これからの障害者表象とはーー「感動ポルノ」を超えていくために
六 「差別を考える文化」の創造へ
あとがき
付録 「感動ポルノ」を考える映画リスト
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