北沢真一、メカトロニクス関連の技術者を目指して京浜大学メカトロニクス科を2008年に3月に卒業したが少しの思い上がりから就職のチャンスを逃した。中学3年生の夏剣道県大会で対戦した片手上段の男と親交を深め、彼を通してインド人留学生リアドと知り合い親交を深めた。挫折感に陥っている時インドムンバイに帰国していたリアドよりメカトロニクスの新規事業を起ち上げないかと誘われ2009年にムンバイに渡る。最初に開発した自動ガス溶断機が手頃な価格帯でも有りヒット商品になる。次にアミューズメント向けにドローンキャッチャーを開発しヒットする。開発した大型ドローンを使い遭難者捜索に参加し遭難者を発見、洪水被災地えの医薬品や食料品の緊急搬送が評価され官庁のインフラ点検地形の調査等安定した受注を確保していく。事業は順調に拡大し2014年3月株式上場を果し弟明雄の結婚式に参加する為一時帰国した。明雄夫婦を新婚旅行先に送り出した後、親友の近藤、岸田、片岡先輩達と町田駅近くの居酒屋で再会した。ビールが進むに連れ、政治、経済と議論が白熱する。有効求人率が1.4倍だがほとんどが身分の低い非正規社員だと言う。やはり先の郵政選挙、劇場型選挙の時にコメンテーターが指摘した通リになっていると北沢が言う。そして祖父の家で見た映画の感想を語る。映画の題名は[キュウポラのある街]内容は戦後焼け野原から経済複興しっっある鋳物の街、川口市が舞台で、主人公の高校進学を控えた女子中学生、弟、労働者の権利に目覚めていく若者、工場の近代化に取り込む経営者、貧しいながらも明るい未来に向けて逞しく生きる姿が生き生きと描かれていた。女子中学生と弟に朝鮮半島北部出身を親に持つ友達がいた。ある日 祖国に帰り楽園を造ろう を合言葉に北部に新しくできた祖国えと帰って行く。その後祖国に帰国した人達が祖国に帰り良かったと思える人生を送ることができただろうか?今のあの国の現状を知ると。この時期日本では[俺は国民が豊かになるので有れば社会主義政策でも取り入れる]と公言し、社会保険制度を充実させ。[貧乏人は麦飯を食え]暴言を吐きながらも所得倍増論をぶち上げ経済界が此れに応じて実現した。保守大物首相達が産業を育成し国民に安心感を与え国を先導していた。この様な事を祖父から聞いたと北沢。若者達の議論は、全て法律で決まる国政選挙には必ず投票に行き自分の主義主張に合う候補者に投票する。国政投票率が75パーセント以上にならないと緊張した政治は期待できないと結論ずけた。北沢は晴海で開かれていた自動機器展を見学し新橋駅で旧友の山口と再会し近況を語り合う。JR鴨居駅で降りて鶴見川に架かる橋を渡り河原に下りて行く階段で幼馴染の光代ちゃんと再会した。2人が階段に腰を下ろすと川向に立つ教会の十字架が赤く灯り川面に映えた。
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