抹殺されたもう一人の天才。
その業績と実像に迫る!!
「フックの法則」に細胞の「発見」。いまも教科書で誰もが名前を目にする科学者であり、17世紀に時代の寵児として活躍した男、フック。
しかし、彼の肖像画は一枚も残されていない。それは、死後にニュートンが彼を学界から消していったからだ。
なぜニュートンの論敵となったのか? 彼はどんな生涯を送り、どのような研究をしていたのか?
抹殺されたもう一人の天才、その業績と実像に迫る!!
大佛次郎賞を受賞した本格科学評伝。
序 ワイト島への旅立ち
1 科学者フックの誕生
第1章 ワイト島からオクスフォードへ
第2章 科学者フックの誕生
第3章 王立協会とグレシャム・カレッジ
2 フックの科学的業績
第4章 ミクロの世界の探究
第5章 気体研究への取り組み
第6章 フックの日常生活
第7章 フックの法則
第8章 天文学者フック
第9章 一七世紀のレオナルドーー技術改良家としてのフック
3 二人の巨人
第10章 ニュートンの登場ーー光学論争の始まり
第11章 巨人の肩に乗ってーー美しき和解?
第12章 落体の軌道についての論争
第13章 『プリンキピア』--決定的破裂
終章 ニュートンに消された男
あとがきーー若き日の先端研に捧ぐ
注
索引
レビュー(2件)
実験科学から理論科学へ
本書で紹介されるイギリスの物理学者ロバート・フック(1635~1703)は、高校物理で習う「フックの法則」のフック、その人である。生物好きの方は、コルクの細胞構造をスケッチした人といえば思い出すだろうか。 フックは、アイザック・ニュートンより7最年長で、「体が弱く、工作好きであったというフックの少年時代は、未熟児で生まれ、機械工作を好んだニュートンの少年時代と、驚くほど似通っている」(40ページ)にもかかわらず、その伝記がほとんどない。肖像画すら残っていないという。ニュートンが王立協会に入ってくると、光学や反射望遠鏡、『プリンキピア』をめぐって両者の激しい対立が起きる。 フックが没すると、王立協会会長のニュートンは、フックが生涯の住処としたグレシャム・カレッジを引き払い、フックが製作した実験器具や肖像画を廃棄してしまったとみられている。それほどニュートンはフックを恨んでいたということだろう。 フックの人生を通じて、ピューリタン革命から王政復古、名誉革命を経てハノーバー朝が始まり、首都ロンドンはペストの流行や大火をくぐり抜け、大英帝国へ突き進むイギリスの歴史が見えてくる。 社会が変革期にある時には、すぐ実学に結びつくフックのような実験科学者が重用されるが、王政復古を経て安定期に入ると、ニュートンのような理論科学者が提示する哲学が大事になってくるのが、歴史の流れなのかもしれない。ニュートン個人の恨みより、歴史の大きな潮流が、1人の偉大な実験科学者を消し去ってしまったのである。