僕の家族はおGとおBaだった
子どもが幸せに育つ条件
幼い頃に両親を亡くした僕は、父の弟妹であるおGとおBaに育てられた。2人は遠く離れた別々の場所に住んでいる。子どものいない彼らは3年ごとに、そのとき養育している方が僕を連れて相手方の家まで送り届ける約束を交わしていた。
両親なしに、子どもは育つのか?家族とは?
◎あらすじ
親友のサビ猫とともに、紀伊半島の山中に住むおGと、東京に住むおBaの家を行き来しながら育つ僕。おBaが市会議員に当選して周囲がさわがしくなったかと思えば、一転しておGのもとで牧歌的な田舎暮らしが始まったりと、二人の愛情を受けながら目まぐるしい日々を送る。太平洋戦争の記憶や戦後復興期の都市開発、ヤングケアラーの問題など、さまざまな思い出が詰め込まれた著者の半自伝的小説。
兄弟姉妹のいる家庭へのあこがれ
結婚後、東京の家に嫁いだものの早くして夫を亡くしたおBaと、独り身で紀伊半島の山中で田舎暮らしを楽しむおGの間を行ったり来たりする僕。
物語にはさまざまなテーマが盛り込まれています。しかし、著者が最も描きたかったのは「家族とは何か」ではないでしょうか。
「産めよ殖やせよ」が掛け声の戦時下で、子だくさんの家庭は多かったようです。食べ物を手に入れるのは子どもの少ない家でも簡単ではありませんでしたが、多子家族はそれに輪をかけて難しかったと言います。ところが戦後、食糧に余裕が出る時代になると、子どもの多い家は余裕があるように見えたそうです。
その時代にあって、めずらしく少子家庭で育ったおGとおBa。夫と死別後、一人暮らしの時代が長かったおBaの周りには、多くの協力者が集まり、いつもにぎやかだったと回想します。他方、何でも自分でやろうとするおGは、畑に種をまくことから、生育、収穫、調理までのすべてを自分でやっていました。
「笑いが少なくいつも囲碁の棋士を演じていた」というおGの回想シーンや「”この指とまれ”と声をかけると、いつでも人が集まってくるのは楽しい」という言葉には、一人っ子で育った僕のさみしさが表れているのかもしれません。
僕にはおGとおBaがいた
父の弟と妹の間を3年おきに行ったり来たりする暮らしは、平和な時代の一般的な家庭とは異なります。けれども厳しい時代は、両親以外に育てられた子どもも多かったはず。父母の元で暮らしてはいても、両親がそろっていない家庭もめずらしくなかったのではないでしょうか。
実際、住めば都とはよく言ったもの。数年ごとに二拠点を行き来する僕は東京での暮らしと田舎暮らしのそれぞれに楽しみを見出していきます。そして最後には明るい予感を読者にさせて、物語は終わりを迎えるのです。
近年はステップファミリーなど、新しい家族の形が生まれています。平和な時代に生きる私たちは「両親と未婚の子ども」で構成された家族が一般的だと思いがちです。しかしそれは、戦後の比較的新しいイメージなのでは、という気がしてきます。
両親がいなくても、数年ごとに住む場所が変わっても、しっかり愛情を注いでくれる存在がいれば子どもは幸せに育つ。この物語からは、そんなメッセージを受け取りました。
特に「家族」に興味がある人におすすめです。
文:筒井永英
[著者プロフィール]
森本正昭(もりもと・まさあき)
1937年三重県伊勢市生まれ。名古屋大学教育学部卒業。株式会社電通を経て、日本福祉大学にて多変量解析、社会行動のシミュレーションを研究。敗戦の体験を後世に伝える活動も行っている。戦争と庶民を描いた小説、伝記、記録などを多数執筆している。
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