【POD】ミチューリン会機関紙に見る農業技術運動の展開と変容
1920年代のソビエト連邦で農学者・ルィセンコによって提唱されたミチューリン農法は、第二次世界大戦後の日本で短期間ですが流行しました。これは播種前の種子を冷蔵することで増収するという技術です。
共産党員を中心に、左派的思想を持つ農民と科学者が実践・研究した点が特徴であり、本書ではミチューリン農法が流行した期間を4期に区分、それぞれを各章とし、ミチューリン会が発行した機関紙を読み解きながら農業技術運動の消長の理由と時代背景を考察しています。
<目次>
序章
1.ミチューリン農法とは何か
2.日本におけるミチューリン農法の流行
3.先行研究と問題点
4.研究に用いる資料
第1 章.1期(ガリ版期)
第1 節.下伊那ミチューリン会結成
1-1.菊池謙一と下伊那ミチューリン会
1-2.ミチューリン農法を受け入れた下伊那の土壌
1-3.機関紙『伊那の農業』創刊
1-4.スタートのつまずきから成功談へ
第2 節.ミチューリン農法と科学者
2-1.官僚技術の敵視
2-2.科学性に触れる農民
2-3.科学者の合流
第3 節.「逆コース」の時代
3-1.生産の希望と軍備反対
3-2.警察の介入
第2 章.2期(拡大期)
第1 節.農民の意識改革
1-1.部数増加の推移
1-2.ミチューリン「運動」の定義
1-3.投稿の内容
第2 節 日本ミチューリン会結成
2-1.二つの全国大会
2-2.大規模化による交流の限界と機関紙の役割
第3 節 民主主義科学者協会との関係
3-1.「国民的科学の創造」とミチューリン農法
3-2.インテリゲンチャと農村
第3 章.3期(転換期)
第1 節.ヤロビ主義の見直し
1-1.ヤロビに関する記事の減少
1-2.農事試験場でのヤロビ試験
1-3.農民の不正確なデータと内部批判
1-4.階級性の放棄
1-5.農民の政治性への反応
1-6.ヤロビから育種・肥培管理へ
第2 節.民科の弱体化と菊池の思想
2-1.衰退する民科
2-2.菊池のソ連信奉
2-3.農民のシベリア抑留体験
第3 節.女性の投稿と地位向上
第4 節.有機農業の萌芽
4-1.農薬への疑義
4-2.ミチューリン運動の「環境」解釈
4-3.農薬と反アメリカ
第4 章.4期(衰退期)
第1 節.科学者の態度
1-1.ルイセンコ辞任問題
1-2.編集部の東京移転決議
1-3.「ともに学ぶ」から「教える」立場へ
第2 節.「家族」の終焉
2-1.幸子が作ったネットワーク
2-2.東京移転後
2-3.その後のミチューリン運動
終章
レビュー(0件)