戦後、企業の多国籍化の進展と拡大は、先ずは米国企業を中心として世界史上未曽有のものとなり、それに伴い、企業倫理に関わる多様な問題をもたらすことにもなった。とりわけ1960年代から1970年代初頭にかけては、多国籍企業についての大きな批判と論争が巻き起こされることになった。
しかしその後、批判や論争は若干鎮静化に向かうことになった。それには、多国籍企業という新しい現象への驚きと戸惑いが消えたこと、そして、戦後の各国の経済的な立ち直り・発展とともに、米国以外の国々の企業の多国籍化も進展し、各国間の相互進出が活発化していったことが理由として挙げられる。国際経営論の学界においては、企業の国際競争の激化への対処法が関心の中心となり競争戦略に関心が移ることとなった。それは経済的な効率性を高める研究への一層の腐心でもあった。
しかし、徐々に21世紀への転換点を契機にして、再び多国籍企業の倫理的な問題に関心が向かいだしたかに思われる状況がみられるようになった。その理由は、経済の一層の自由化・規制緩和の中で、企業倫理をめぐる様々な不祥事や不都合な問題の続発とそれへの相次ぐ批判であった。
こうした流れの中で、国際経営論の学界においては、競争優位のために必要となる社会政治的な諸要素と諸条件への関心が高められることになった。また、ネットワーク型の組織がますます熱心に提唱されたことは倫理問題への意識を相乗的に高めることを意味した。
とは言え、国際経営論の領域では、依然として競争に関わる従来の経済合理性中心の意識も、それに基づく研究や方法論への執着も強く、企業倫理問題への関心の高まりによる何らかの対応の必要性が感じられるようになったものの、企業倫理の研究を体系的に組み込むことは勿論、それとの融合には程遠い状況が支配的なままであった。
そのような状況下では、「『国際経営論』の学科はまだ比較的若いので、それに結び付いた社会的、そして経済倫理的な体系化は未だ『方向付けの局面』にある」と語られることもあった。
しかしながら、多国籍企業に関わる倫理的な問題が大きく取り上げられて以来、幾多の問題を目の当たりにしながら半世紀近くも経ち、未だ「方向付けの局面」にとどまっているのは、国際経営論が比較的若い学科だからではなく、それ以外の理由があるからではないだろうかという疑問も生じる。
このような現下の疑問や問題について多少なりともこたえようとすることが本書の課題である。
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