【輸入盤】シューベルト:ミサ曲 第5番、プーランク:グロリア マルティン・レーマン&ドレスデン聖十字架合唱団、ドレスデン・フィル
新クロイツカントルによる新生クルトゥーアパラストでのレコーディング
プーランク:グロリア、シューベルト:ミサ曲第5番
レーマン指揮ドレスデン聖十字架合唱団、ドレスデン・フィル
2022年にクロイツカントルとなったマルティン・レーマンがドレスデン聖十字架合唱団とドレスデン・フィルを指揮して臨んだフランスとオーストリアの宗教音楽人気曲の組み合わせ。レコーディングはドレスデンのクルトゥーアパラストで実施。同会場は、多目的ホールからクラシック専用ホールへと用途が変更され、5年がかりの大改築工事が2017年に完了。素晴らしい音響を手に入れ、パイプオルガンも一新されていたので、ドレスデン聖十字架合唱団とドレスデン・フィルの演奏を良い条件で聴くことができます。
▶ Berlin Classics 検索 作品情報 プーランク:グロリア革命後の宗教音楽
フランスは18世紀末のフランス革命により宗教が大きく毀損され、さらに20世紀初頭の政教分離法や、アクシオン・フランセーズといった動きによって通常の宗教音楽の需要は激減。
クーセヴィツキー財団からの委嘱
プーランクの「グロリア」は、クーセヴィツキー財団からの「シンフォニー」の作曲委嘱がきっかけで書かれたものです。最初、プーランクが「シンフォニー」に興味無しとして断ると、財団は「オルガン協奏曲」を提案、プーランクはすでに「オルガン協奏曲」は書いたと言って断ると、財団は好きなようにして良いと条件を緩和したため、プーランクはオーケストラと合唱、独唱のための「グロリア」で委嘱に応えて作曲。
人気曲として定着
1961年のミュンシュ指揮ボストン響による初演は成功(プーランクはミュンシュの指揮がかなり不滿だったようですが)。以後は演奏会用宗教音楽の傑作として人気曲となります。
シューベルト:ミサ曲第5番啓蒙主義改革で教会の影響力が縮小
ミサ曲第5番の作曲が開始された1819年は、皇帝ヨーゼフ2世(1741-1790)によるカトリック教会の経費節減施策が1784年に導入されてから35年目にあたり、オーストリア帝国の多くの教会で、自前では大規模なミサ曲の演奏ができなくなっていました。
そのため、それまでのシューベルトのミサ曲よりも格段に規模が大きくなったミサ曲第5番は、1822年に完成してからも、演奏が計画されはするものの実際には演奏されていません。
宮廷副楽長職に応募
1823年に恩師で宮廷楽長のサリエリが深刻な通風のため入院し、翌1824年には宮廷副楽長のアイブラーが宮廷楽長に昇格したため、宮廷副楽長職が空席となります。晩年のサリエリに代わって長く実務を担っていたのが副楽長のアイブラー(1765-1846)だったため、副楽長職が空席でも特に問題はなく、シューベルトが応募したのは約2年が経過した1826年4月のことでした。ほかに7名がこの職に就きたいと宮廷に売り込んでいます。
ミサ曲改訂と選考結果
シューベルトはこの選考に際し、1824年にバッハの音楽を研究したのちに大幅に改訂していたミサ曲第5番(=現行版)を提出するのですが、楽譜を受けとった宮廷楽長のアイブラーからは、オーストリア皇帝フランツ1世(1768-1835)の好むスタイルではないとして返却されてしまいます。却下された理由としては、シューベルトがミサ典礼文から「そして唯一の聖なるカトリックと使徒の教会を(Et in unam sanctam catholicam et apostolicam ecclesiam)」の部分を削除するという啓蒙主義的なことをおこなっていたことも挙げられそうです。このカトリック教会云々の部分はシューベルトは過去のミサでも削除していたので、「宗教寛容令」による演奏機会の増加を狙ったものかもしれませんが、フランツ1世は啓蒙主義に批判的な復古主義的な人物なので、アイブラーの忖度も無理からぬところではあります。
結局、副楽長に任命されたのは、すでに宮廷劇場(ブルク劇場)で第1楽長を務めていたヨーゼフ・ヴァイグル(1766-1846)というごく順当なものでした。
啓蒙主義への賛同
シューベルトはこのミサ曲の改訂の後、ヨーゼフ2世の啓蒙主義政策に賛同す
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