《おれの身中に棲む虚無よ、おまえは固有名詞的に野生だ。飼い馴らされるごとに逆にその凶暴の度を高め、このおれの肉を喰い破ってくる》(「秋のダンス」より。「独特の比喩表現と物事の本質を見抜く鋭い洞察力で、読む者に新たな世界観を提示する秀逸の詩集」(初版出版時の編集者の評言)。 余白に一部抜粋を。《憂鬱な季節が夏になる。俺が諦めを覚えて三度目の夏だ。海辺に打ち捨てられた砂の画布。色とりどりの水の絵具。お前の手帖から破り取られた課題制作のデッサンが、俺の脳髄の壁に無造作にピンでとめられている。フィルムをもどせば、何かにせきたてられるようにして駆け抜けた日々の破片が悔恨を拒絶する白色の空虚を俺のこころに穿って、何時からか修復不可能の看板をぶら下げている。-虚ろに閉じた眼と震える唇。めくるめく急転直下の目眩。切り立った断崖を背に強風にうたれ、波しぶきで全身を濡れそぼらせている、音声の悉くを遮断された、つまり、ヴォリューム・ゼロの映像。ぶれたフィルムのなかでの死こそ、一度消去された俺にはふさわしい。遥か彼方で、無伴奏のソナタがなってくれたら、救いになるのだが、という思い。--だが、俺を過ったのは、一羽の鳥のはばたきだった。思わず、救いはない、と洩らした。敢えて、自らを救わん、とすることが、出来るだけ、なのだ。 夏だ。俺は自分を腐食させるヴィジョンの外へ出てゆく。もはや諦めはない。事物の抵抗が触発してくるものに俺は、惨たらしいほどに餓えていた》(〈夏の無伴奏〉冒頭部)《(前略)-生きるのに理由が要るとは何と脆弱な生であることか -だが、ひとすじなわではない。みんな同じさというひとびとの一見無邪気な面に隠されたその老獪さ、剥がしてもはがしても現れるその薄ら嗤いの汚らわしさ。つまるところ、世にいう近代とは不潔な教育のたまものなのだ。(中略)××主義者は思い入れたっぷりに問うのだった。生きて何をなすべきか?-何もない! と虚無がいえば地滑りの直中から複数の肉体がおどり出る。ダンス、ダンス、ダンス。大地の底からは魂の哄笑が轟きわたり、あとの祭りだ。ダンス、ダンス、ダンス、ダンス。真昼の太陽は、さながら、土けむりと融け合って、金色の雨をふらし、他ならぬこの出来事の、永遠の反復を告知するものとなる。ダンス、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス - 》(〈秋のダンス〉終結部)
レビュー(0件)