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真珠湾に何と米政府が展示している日本海軍の空母「赤城」のスケールモデル、 それを見るだけでもハワイに行く値打ちがあります。 お金も手間も凄い。原設計図を基に、徹底的にリアルに再現し、艦と飛行機だけではなくパイロット、整備士、 その他の作業の一兵卒までフィギュアを凜々しく、膨大な数で艦上に展開しています。 本物のリスペクトがないと作れない。これは何を物語るか。 「真珠湾攻撃は卑怯だとアメリカ人は今も怒っている」と刷り込まれてきたのが嘘だと、誰でも自分の眼で確かめられるということです。 長年の思い込みをスカッと逆転できる現場が、ただの観光地に見えたところあります。 (著者による帯の文章より) 現場を大切にする行動の作家にして、日本初の独立系シンクタンク・独立総合研究所社長でもある筆者が、 戦後70年、これまで私たち日本人が、刷り込まれてきた歴史認識を、右でも左でもなくド真ん中から見つめ直す。 新機軸の“ガイドブック”その第一弾が登場。 【青山繁晴(あおやま・しげはる)】 ●神戸市生まれ。慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒業。共同通信に入り、京都府警キャップなど事件記者、金融・財界担当など経済記者を経て、政治部へ。首相官邸、防衛庁、外務省などで歴史的な「特ダネ」を重ね、昭和天皇の吐血もスクープ。 ●三菱総研の研究員に迎えられたのち、日本初の独立系シンクタンクである独立総合研究所(独研)を創立、代表取締役社長・兼・首席研究員に就任。 ●近畿大学経済学部で「名物教授」として学生を集める(客員教授/国際関係論)ほか、防衛省幹部研修講師、総務省消防大学校講師も務める。 ●公職も無償を原則に数多く務め、内閣府原子力委員会原子力防護部会・専門委員、国家安全保障会議(日本版NSC)創設の有識者会議議員、文科省参与、海上保安庁政策アドバイザー、経済産業省総合資源エネルギー調査会・専門委員、総務省消防審議会委員、総務省「NHK海外発信検討会」委員などを歴任。 ●国内外で第一級の専門家として認知されている分野は、外交、安全保障、危機管理、資源エネルギー安全保障、核セキュリティ、政治論と例を見ないほど幅広い。 ●「ザ・ボイス」(ニッポン放送)、「虎ノ門ニュース」(CS放送、ネットTV)、「水曜アンカー」(関西テレビ、現在は終了)などへの番組参加が圧倒的人気を持ち、感動を呼ぶ講演でも知られ、連続5時間前後にもなる熱い「独立講演会」を毎月、自主開催している。 ●会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)も15年近くたゆまず配信している。 ●作家としてはロングセラーの『ぼくらの祖国』、『ぼくらの真実』(ともに扶桑社)をはじめ『死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う』(ワニ・プラス)、『希望の現場 メタンハイドレート』、『海と女とメタンハイドレート』(ともにワニ・プラス、青山千春博士との共著)、さらに純文学の『平成』(文藝春秋)がある。 ●趣味が多彩で、モータースポーツ(A級ライセンス)、アルペンスキー、乗馬、スキューバダイビング(パディ・ライセンス)、水泳、映画。 ●配偶者は、日本女性初の大型船・船長の資格を取りメタンハイドレート研究で国際的に知られる青山千春博士。子息二人。愛犬は青山繁子(ポメラニアン)。 ●2千万を超えるアクセスの個人ブログ、多岐にわたる活動情報を網羅する独研公式HPがある。
レビュー(19件)
大東亜戦争の歴史を知ることができました。
2年前にレジャーでハワイに行った。行く前に読んでおくべきだった。宿泊したホテルの近くに、この本で紹介している資料館があったとは、残念でした。
書かれている内容から、著者が大東亜戦争当時の日本を評価していることが十分に伝わります。その意図には賛成できる点が多々ありますが、その裏付けとなるアメリカ人の意見の中身を検証する術がないのが残念です。
著作者の普段どおり少し硬めの口調でハワイ真珠湾の軍事歴史館を説明された記録?です。写真が多く掲載されていてわかりやすいです。読み終えて我が国の誇りが再認識できました。それにしても私を含む多くが人たちが受けてきた自虐史ともいえる教育は何なのかと憤りを感じます。平和を声だかに叫ぶのは大切ですが、世界情勢を見て動かないと国が滅びます。滅んだらどうなるのか。かつてのカルタゴ以上の、現在のウクライナ以上の悲惨な状況を想像せざるを得ません。
いつもながら青山先生の著書は目から鱗のオンパレード!日本の素晴らしい姿や歴史の数々は、残念ながらマスメディアでは報道されません。戦勝国であるアメリカさえもが認めた我が祖国の真実を、是非これを読んで知って欲しいです。
初めて
1月21日のDHCテレビのトラ撮りで、青山繁晴先生が詳しく仰られていますがこの事については私全然知りませんでした、アリゾナ記念館は43年前に行った事がありますが(青山繁晴先生)の言われた記念館初めて知りました。