【輸入盤】標題付きカンツォンとソナタ集 フェデリコ・デル・ソルド&アンサンブル・イル・ナルヴァロ
モンテヴェルディ時代のクレモナの作曲家による器楽作品集
コッラディーニ:標題付きカンツォンとソナタ集
フェデリコ・デル・ソルド指揮アンサンブル・イル・ナルヴァロ
ニコロ・コッラディーニはモンテヴェルディの18年後にクレモナに生まれ、生涯のほとんどを生地を拠点に過ごしたと考えられている作曲家。マドリガルやモテットだけでなく、当時先端のスコア形式の記譜で器楽曲を書いたりしており、このアルバムでは、それらの中から、1624年にヴェネツィアで出版された標題付きの器楽曲集「カンツォンとソナタ集」をとりあげています。標題は当時コッラディーニと関わりのあった一族や著名な人物の姓にちなんだものです。
演奏は、バロック・ヴァイオリン×2、ヴィオラ・ダ・ガンバ×2、コルネット×2、リコーダー×2、アーチリュート(テオルボ)、オルガン、チェンバロというアンサンブルでおこなわれています。指揮とチェンバロ、オルガンは、音楽学者でもあるフェデリコ・デル・ソルド。
▶ Brilliant Classics 検索
作曲者情報◆ ニコロ・コッラディーニ
クレモナの音楽家
クレモナ大聖堂のオルガニストで作曲家のニコロ・コッラディーニは、1585年、18歳のモンテヴェルディが暮らすクレモナに生まれ、1646年に亡くなるまでの61年の生涯のほとんどを同地で過ごしたと考えられています。
教会オルガニスト
モンテヴェルディの時にはクレモナに音楽家の良い仕事に空きが無く、マントヴァで働くことになりましたが、宮廷があまり好きではなかったモンテヴェルディはクレモナの実家によく里帰りしてもいました。
コッラディーニの場合は、恩師でオルガニストのオモボーノ・モルソリーノが1611年7月15日に亡くなったため、26歳でクレモナのサン・ピエトロ教会のオルガニストになっています。
そしてその年、クレモナ大聖堂で毎週土曜日と聖母マリアの祝日に演奏されていた「聖母連祷」の伴奏についてもモルソリーノの後任としてコッラディーニが任されることになります。
紛らわしい名前
コッラディーニの師は、オモボーノ・モルソリーノの父親であるジョヴァンニ・バッティスタ・モルセリーノ(モルソリーノ、モッソリーノ、マルサリーノ、マルソリーノとも名乗っています)で、そのジョヴァンニ・バッティスタの仕事をコッラディーニが引き継いだとする説が根強いようです。
しかし、父ジョヴァンニ・バッティスタの方は、クレモナ生まれではありますが、1568年にはバイエルン宮廷で働いており、多少の中断はあったようですが、1586年から1590年についてもバイエルン宮廷にいた記録があります。そして1590年には長期休暇を願い出てミラノ大聖堂に移っており、翌1591年に同地で亡くなっているため、クレモナで仕事をするのは難しいように思えます。なによりジョヴァンニ・バッティスタの死亡時、コッラディーニはまだ6歳ですし、「後任」になるのがその20年後というのも不自然です。
一方、息子のオモボーノ・モルソリーノの方は、1596年にクレモナ大聖堂の聖母連祷のオルガニストとなり、1611年に亡くなっているため、コッラディーニの「師」としても、「前任者」としても時系列的な問題がありません。
ちなみにオモボーノ・モルセリーノの息子、ドン・ジョヴァンニ・バッティスタ・モルソリーノは、のちにモンテヴェルディの息子の一人と親戚関係になっています。
コッラディーニの作品
コッラディーニは、1615年に「4声のリチェルカーレ」、1620年に「5声と8声のマドリガル集とヴィオールのシンフォニア」、1624年に「モテットとコンチェルト集」などをヴェネツィアなどで出版しており、スコア形式で書かれた4段楽譜を用いた器楽作品等、当時の先端を示してもいました。
クレモナ大聖堂のオルガニスト
1635年、長年に渡って「聖母の連祷」の伴奏をおこなってきたコッラディーニは、クレモナ大聖堂のオルガニストに任命されます。
クレモナ大聖堂での仕事に加え、作品出版を多くおこなっていたことからコッラディーニの信用度も上がり、クレモナの貴族など有力者が集まる協会「アカデミア・デリ・アニモージ」の音楽担当も任され、さらに市の文化機関の責任者にも任命されて、1646年8月7日に亡くなるまで
Powered by HMV
レビュー(0件)