花曇りとは今日のような空をなぞらえていうのだろうか。先日癌細胞の検査(PET-CT)を受けた。ぼんやりした頭の中で外の風景を眺めながら、信雄の運転する助手席に九十歳になる認知症の敏、そして洋子は後部座席に身体を預け、「何とかなるわ」との思いにふけっている。毎週土曜日には決まってグループホームで過ごしている敏を誘い出し、ドライブを楽しませるのが定例の行事となってきていた。グループホームに入居し、既に四年が経過しているが、最近歩きづらくなっているため、気分転換にこの戸外散歩を続けている。毎日の忙しい仕事生活の中でも続けている最大の理由は、この行事を逃すと敏は不安を顕(あらわ)にし、住んでいるグループホームで大声を出し、騒ぎ始めるという。(本文より) 【著者略歴】 湯舟 貞子(ゆふね・さだこ)
[読者から頂いたお声]
本書を読んで苦しみや辛い経験を乗り越えることで得る人間性や価値観、成長というものを改めて考えさせられました。本書の登場人物である洋子は、中学生の時に母を亡くし、祖母の老いとも向き合い、自身は看護の道を歩みつつもがんを患う。その過程を丁寧に描き、洋子という人間の人生を描いた本書、その洋子の境遇が私と重なる部分もあり、ズシリと心に残っています。例えば、老いについて。私はおじいちゃん子でした。幼いころは九州に帰るたびに祖父が漕ぐ自転車の後ろに乗り、いろんなところに連れて行ってもらいました。段差があるたびに跳ねる自転車にお尻を痛めた私を見て、次の日には段ボールが敷かれていたり、段差がくると「段差くるぞ!」と教えてくれたり、とても楽しい時間でした。しかし、私が高校生になることには祖父のボケが始まっており、すでに私のことを孫だと認識することはほとんどありませんでした。私に対してほとんど興味を示さない祖父に少し悲しい思いをしましたが、その裏で叔母が排泄などの世話をしていたことも後々になって知りました。本書にはその当時のことを思い出す章があり、少し悲しくもなりつつ、祖父や叔母への感謝の気持ちを改めて思い起こすきっかけとなりました。また、ガンについて。私の家系は俗にいうガン家系です。祖父母も父もガンでなくなりました。直近では、昨年父がすい臓がんで亡くなりました。「看護者が末期の患者の病室に向かう足取りが重くなっていく・・・」という一文を私も体験しました。看護者の方々ほど日常的な経験ではございませんし、父が闘病中はコロナが流行り始め、お見舞いに行くことすらできませんでした。しかし、亡くなる前の最後の3日間だけ実家に帰ってくることができました。お医者さんに相談し半ば強引にでもという思いでした。しかし、一度外に買い物に出て、家に帰るとき父との時間を大切にしたいから早く帰りたいという気持ちの反面、足取りを重く感じたことも事実でした。本書のメインテーマとはそれてしまいますが、自身に重ね合わせながら読むことで過去を振り返ることができました。ありがとうございました。(30代:男性)
看護師である主人公の話です。コロナ禍である現在にこそ、多くの人が読むべき一冊であるように思いました。案外忘れがちなことですが、医療従事者も当然のように一人の人間であり、生活があることを思い知らされました。
社会人になってからは、人を見る時にはどうしてもその人自身を職業で見てしまうところがありますが、そういった態度は改めなければならないと強く思いました。
神戸に住み、中学生の頃に母親を亡くした主人公の、看護師になるまでの様子も詳細に描かれているため、感情移入がしやすかったです。母親を亡くしたことも急な出来事であり、またその後家に入った継母との関係もあまり上手くいかない中、人の命を救う職業である看護師に就くことに決めたのは、主人公の心の広さや優しさが関係しているのではないかと思いました。困難にぶつかった際の人間の反応は人それぞれですが、この主人公は精神面において強い人間であるように感じました。
父親を急に亡くした際も、悲しみにくれながらもひたすら前向きに進もうとする主人公の態度からは勇気が貰えました。また、自身が乳癌になった時にも、落ち着いて対処をしていた様子は流石看護師だと思いました。主人公はいい意味で、両親の死や自分の死すらいつかくるものであると常に冷静に捉えているような気がしました。そのような頼もしい姿は主人公の診てきた患者にとっては、勇気づけられるものであったと思います。主人公自身もきっとそのように捉えなければ、死が身近である看護師という仕事は務まらなかったのではないかと思いました。
作品の中では、家制度や母親の生き方等についての当時の時代背景についても細かく描かれており、イメージがつきやすかったです。家族という括りにされるのは、仲のいい家族であれば困らないものの、主人公の家のように血の繋がっていない家族がいたり、仲の悪い家族がいればとても窮屈なものになってしまっていたのではないかと思いました。(30代:女性)
私たちの生活で看護というものがすごく大事になってきていることを実感している時、この本を見つけ、読んでみることにしました。高齢化社会が進んでいる今、この本の主人公のように自宅で看護をする必要が出てきたり、施設に預けて看護をお願いしたりと、看護にも色んな形があり、それを決める本人、家族、それぞれの意思、考えが存在し、どちらであってもそれはその家族にとっての正解なのではないかと思いました。
洋子さんは、早くにお母さんのを亡くされている分、旦那さまのお義母さんへの思い入れは普通の人以上だったのではないかと思います。
さらに旦那さんとは同居していないことからも
洋子さんの中の葛藤は想像も出来ません。たとえ看護の勉強をされていたとしても認知を多少は混じっている方の看護は難しいです。
この本には洋子さんの人生そのものが綴られて居ますが、私も洋子さんのように看護というものをあらゆる角度から見ることが出来たらいいな、と思いました。洋子さんの人生はまさに看護と隣り合わせでした。自分で看護の勉強をされたことはもちろんですが、乳癌となり、自身も患者となったこと、この2つの角度から改めて看護というものの存在の有難み、難しさを実感されたのではないかと思います。自分はあらん限りの全力でその人のサポートをしていると思っていたが、患者の立場になるとそれは根本的に違うと実感した、という洋子さんの言葉に私も共感を覚えました。私自身が患者という立場から看護師さんと接しているからです。病院で不安を抱えて過ごす患者さんにとって看護師さんは本当に心の支えとなる存在です。1つの動作、1つの接し方で心の在り所はガラリと変わります。担当看護師が変わるだけで、気持ちの持ちようが違うため、洋子さんの気持ちが凄く分かりました。また、私のこの患者としての経験を看護師として働く姉に同意を求めたこともあります。姉は看護師は必死で患者を見ている、しかしそれが裏目にでる時もあるんだね、と言いました。まさに洋子さんの受け取った看護のギャップというものでしょう。
私の中ではこの本の中で洋子さんの気持ち、洋子さんのエピソードそのものが重く、強い印象をうけました。(40代:女性)
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