本書は「神はどこにいるのか」との問いに答えるものであります。 現代科学をもってしても、神の存在は証明されていません。一方、古代の様々な宗教的聖典においては、神の存在が説かれています。しかし、その内容は難解であったり、にわかには信じがたいことが記述されていたりして、容易に理解できるものではありません。しかし、故湯川秀樹博士が晩年に提唱された「素領域理論」と出会ったとき、それが古代インド哲学ととても親和性がよいことに気がつきました。 古代と現代をつなぐために、私が例示するものはスマートフォンです。スマートフォンは素領域理論と古代インド哲学の主張を合わせ持つ構造をしているのです。実際の宇宙を現代科学に基づいて理解することはとても難しいですが、スマートフォンの構造を理解することはとても簡単です。そこに素領域理論の中心をなす概念的な主張を加味すると、この宇宙の構造が理解しやすくなり、かつ古代聖典の主張をも理解することが、容易になるのです。 神の存在を信じている人は、世の中に数多くおられると思います。様々な宗教を通じて、祈りを捧げています。その祈りはどこに向かって、祈っているでしょうか。心の中であったり、お墓を前にしてであったり、宗教上の神に相当する像に向かってであったりすると思います。多神教を信じる人々であれば、自分の生活に直結する自然のそれぞれに、祈りを捧げることもあるでしょう。山、海、太陽、月、動物、等々。それらの行為は、ひとつひとつがとても尊い行為だと思います。 本書はそのような行為を下支えすることにつながるのでは、と思っています。神の存在は言葉上で様々に表現されてきましたが、それを幾何学的に理解することを意図しています。つまり言葉ではなく、イメージとして理解します。それは宇宙を構成するあらゆる素粒子が神と接触しているということを意味します。 冒頭にも申し上げた通り、神の存在は科学的には証明されていませんが、その一方で神または未知なる力・叡智の存在無くしては説明がつかない現象・事象が人類の歴史のあらゆる時代に目撃されていることも疑いの余地がないでしょう。もちろん科学的説明がつかないため、奇跡と言わざるを得なくなります。 しかし、宇宙に存在する星や銀河のような遠くで起きている現象はもとより、私たちの身体や生活の中で出会うあらゆる対象を構成する素粒子が、すべて神と接触していると理解した時、様々な奇跡が不思議な事ではなくなるかもしれません。物事の考え方、世界の見え方が変わるかもしれません。自分と神(未知なる叡智)とのつながりを常に感じながら、あるいはイメージしながら生活することが出来れば、少しずつ変化が起きるかもしれません。本書は、その変化の一助になるものと信じ、ご一読頂く価値があるのではないかと思っています。
レビュー(0件)