認知症と診断された高齢者は、徐々に起こる認知機能の低下とそれにより生じる生活の困難を、どのように感じ、それにどう対応するのか。死の2年前まで綴っていた日記から、母が外界をどのように眺め感じていたかを専門医である息子が探る。精神医学の常識を覆そうと始めた試み。果たして、その先にみえたものとは?
まえがき
母の生涯
母の両親
母の出生、五歳にして生母を亡くす
一二歳、父を失う
二二歳、次兄のシベリア抑留死
二四歳、結婚、二八歳、長女の夭逝
三人の子の母として、妻として
六四歳、夫との死別、モンゴル墓参、それからの生活
母の日記と生活
第一期 六七〜七五歳ーー遅れてきた母の青春、忍び寄る老いの足音
六七歳(一九九一年) 「バックを落とさないように、じっと抱えていた」
六八〜七五歳(一九九二〜九九年) 人生の集大成とエンディングノート
六八歳(一九九二年) 「一時二八分男児誕生、五二・五cm三、六九四g」
六九歳(一九九三年) 「かすかにも藤の花ぶさそよがする」
七〇歳(一九九四年) モンゴル墓参
七一歳(一九九五年) 「老人とはこういうものか」
七二歳(一九九六年) 「どら焼きショックか?」
七三歳(一九九七年) エルサレムへ
七四歳(一九九八年) 「私の葬儀に関するノート、例の紙挟みに入れる」
七五歳(一九九九年) イタリア旅行、「今年も無事に暮れていく」
第二期 七六〜七九歳ーーほころび始める生活、認知機能低下に抗う
七六歳(二〇〇〇年) 結城屋騒動、「決してボケないように心身を大切にしよう」
七七歳(二〇〇一年) 「面倒なので雑炊にした」
七八歳(二〇〇二年) 「東京の老人ホームに入りたい」
七九歳(二〇〇三年) 「情けない、恥ずかしい、早く消えたい」
第三期八〇〜八四歳ーー老いに翻弄される日々、崩れていく自我の恐怖
八〇歳(二〇〇四年) 「このまま呆けてしまうと思うと……」
八一歳(二〇〇五年) 「いよいよ来たかな?」
八二歳(二〇〇六年) このまま呆けてしまうのだろうか、「張れ!レイコ!」
八三歳(二〇〇七年) 「呆けてしまったみたい……呆けてしまった!!」
八四歳(二〇〇八年) 「一日一日呆けが進んでゆくようで恐ろしくて仕方がない」
第四期 八五〜八七歳ーーそれからの母のこと
八五歳(二〇〇九年) 「TELかけすぎて叱られる」
八六〜八七歳(二〇一〇〜一一年) 「長い間、ありがとうございました」
八六歳(二〇一〇年) 「苦しいって言ってるじゃないの!!」
八六歳(二〇一一年一〜四月) 「早くなんとかしてちょうだい」
八六〜八七歳(二〇一一年五月) 「ごきげんよう」
認知症とは何か
アルツハイマー型認知症とは何か
アルツハイマー型認知症急増という現象の意味
アルツハイマー病根治薬の開発は可能か
母の診断を考える
母の旅路
あとがき
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