(株)日立製作所で1970年から1979年まで副社長を歴任した。重電機と家電製品の製造を主にしていた日立製作所は年間売上高九兆円規模の大企業に成長し、その50%を占める情報通信エレクトロニクス分野を育て上げた。日立の情報通信エレクトロニクス分野の発展は、父の歩んだ道そのもののように見える。 趣味の世界では、長唄そして小唄は松風流の名取りとなる。1985年、十二代目市川団十郎の襲名披露の歌舞伎座で「助六由縁江戸桜」を河東節浄瑠璃の十寸見東俊の名で素人衆の一人として出演した。 生誕の日から学生時代の明治、大正から昭和初期の記録と、戦後1950年から、1995年に永眠する直前まで45年間の毎日1頁の日記を残した。誕生の日から7歳までは、両親が書いている。 その日記の目録と主な出来事の日の日記を抜粋して146頁に編集した。
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