本書の目的は,世界における「聖・俗・遊」の三項図式を、世界の媒体としての言語におけるそれへと読み替えた上で,「聖」・「俗」において言語が使い手を通して従属・支配されている状況を打開するとともに,「遊」において言語がその独自性を発揮することができる途を模索することにある。つまり,本書は,言語における「聖」としての言霊から始まり,言語における「俗」としての,日常の道具的言語用法および教育・学習現場の言語道具主義を経て,言語における「遊」としての,遊び的言語用法,そして,言葉遊び(ナンセンス)という理路を辿り,最終的に言語遊戯へと到る。 それにしても,これまで言語は,言霊のように,現実を動かす媒体であったり,道具的言語用法およびその延長線上に位置づけられる言語道具主義のように,経験を組織化する道具であったり,思考の道具であったりするなど,私たち人間によって一方的に役立つものとされてきた。ところが,言語における「聖」・「俗」から「遊」への遷移は,言語そのものの名誉回復運動というべきもので,言語は,現実との癒着から脱出し得る可能性を有する。特に,言葉遊びとしてのナンセンス(特に,なぞなぞ)は,マニエリスム的アプローチとの連携のもと、言語のメタ化(メタ言語化)によって三次元の現実から二次元の平面へと,すなわちシニフィエが欠如したシニフィアンの戯れを生成するのだ。さらに,実験小説の中には,こうしたナンセンスを徹底的に極めた作品(『母の発達』)があり,それを通して言葉遊びが言語遊戯へと飛躍するフェーズを垣間見ることができる。この作品では,私たちどころか,作家(の想像力)が恣意的に言語を操作することを内破しており,言語が自ら遊ぶ、言語遊戯の世界と呼ぶしかないのである。
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