▼ユリアヌスはなぜ
キリスト教に背いたのか?
やんごとなき生まれの文人が政治に出遭う時、
本人さえも予想もしなかったディストピアが開かれてゆくーー。
「背教者」として知られる古代ローマの哲人皇帝ユリアヌスの信仰世界を、
精緻な史料分析によって明らかにする意欲作。
紀元後4世紀のローマ皇帝ユリアヌス(331/2-363年、在位361-363年)は、単独統治権を獲得するに至ってコンスタンティヌス以来の親キリスト教政策を放棄し、突然に「父祖たちの遺風」の復興を命じて同時代人を当惑と混乱に陥れた。ユリアヌスの没後、彼の出現は在位中の天変地異や365年7月21日に東地中海を襲った地震と津波に加えて、ユリアヌスの母方の縁戚である簒奪帝プロコピオスの蜂起と鎮圧・刑死と結びつけて語られるようになり、5世紀中葉には「背教者」像が確立される。彼の著作はビザンティン世界における政治と教会批判の具として用いられ、文藝復興期には「古典の擁護者」としての側面も注目されるようになるが、その著作と事績の本格的な再評価は20世紀を待たねばならなかった。
「背教者」として知られるローマ皇帝ユリアヌスの信仰世界の実像を、精緻な史料分析によって明らかにする意欲作。
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