一人の人間に係わる全ての過去を完全復活させることは原理的に不可能である。頼りとすべき記憶は生成された瞬間から脳の調整を受けているし、忘却という名の選択の迅速と徹底は本人すら与り知らぬことが殆どだから。ましてや既に亡くなっている先祖たち幾世代に渡る個別的経験の歴史となれば残された記録は僅かばかりで、発見された事柄たちの繋がりに至っては空想に頼るしか再現する術(すべ)はない。 自分を終端とする男系三代の記憶を追って本編を綴った著者は、祖父や父に関して残された写真、手紙、日記、親族の証言、公開された歴史などを手がかりに、その不可能に挑んでいるが当然のことながら成功とは程遠い。それでも、「死者の魂のスフィアに問う」という苦肉の荒技を駆使し、「時間軸上の銀河」という星界的家系図を土台として親族同志の蠢き合いを想像し、さらには物質と精神の係り、精神の最小単位とそれらの結合様式、「善なる魂の現れ」などに想いを馳せつつ、自身と父と祖父の三人の過去物語り一つひとつを「さざれ石」に見立てて、それら小さな断章を集めることで細やかな一書としている。 そうしたさざれ石を集めた五つの章には、トパーズ、ムーンストーン、アメジスト、アクアマリン、ガーネットという、それぞれが特定の意味を持った宝石の名が割当てられてはいるが、それらとて家族の歴史の顕著な一面を浮き彫りにしているかと言えば、気休めの域を出ていないという印象しかない。 だからだろうか、後半では、何人かの女神の仲介を立てて、得られた過去物語り群の立体視に挑んではいる。しかし結局のところ、おぼろげに聴こえてきた声らしき響きは幻聴に近いし、瞼に浮かぶ場面は言葉の手助けがなければ像さえ結ぶことはない。できることは行方知らずの問いかけと祈りに近い諦念である。もし、著者がこの本を書き上げることで思い出し方を僅かにしろ学んだとしたら、この書から特別な中編を編み出すなり、新たな記憶再現の旅に進むことに期待する。
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