【POD】ブラジルの赤い大地に立つーサンパウロ州の日系移住地の過剰施肥土壌の改良奮闘記ー
さて、本書は、パナマ青年海外協力隊としての任期満了後、帰路変更として、筆者が初めてブラジルを訪れたことから始まり、その8年後、再び、ブラジルのサンパウロ州のグァタパラ日系移住地に赴き、全国拓植農業協同組合連合会(JATAK)のブラジル農業研究普及交流センター(IPTDA)嘱託研究員時代に手掛けた活動成果を主に報告するものである。実際、ブラジル入国に当たっては、永住ビザが取得できないという厳しい環境であった。したがって、ここでの活動は商業用ビザ(延長できて6ヵ月間)を2回取得する形であり、2003年の半年間(3月〜9月)、一時的に日本に帰国し、それから約1年経過した2004年7月〜12月までの半年間という活動であった(2005年3月、最終結果取りまとめ赴任あり)。このブラジルでの活動に当たっては、サンパウロ大学(USP)の核エネルギー農業センター(CENA)の日系教官の恩恵により、同州で公定法となっている土壌分析法(Resina法と記しておく)を習得することもできた(同大学の分析スタッフの指導により、この公定法を実際に実践・習得した日本人は筆者が最初であると推察している。また、筆者はスペイン語のみならず、専門農学・土壌肥料関連のポルトガル語も習得している。)。この分析法を通じて、グァタパラ移住者の農用地の化学分析を実施し、約30年以上にわたって、安易な化学肥料や酸性矯正資材連用による過剰施肥土壌を形成しており、その問題を浮き彫りにした。その後、ビザによる滞在期間に限りがあったため、当初は幼植物ポット試験を通じた各移住者の農用地の特性把握、さらに、IPTDA圃場における土壌改良試験(肥料の施肥水準、緑肥作物導入)や天地返しを通じて、その問題解決に取り組んできた。基本的には、日本政府から棄民扱いされ、本国政府に憎悪を抱く日系移住者(一世ら)は多い。そういう環境の中、グァタパラにおいても、日本でぬくぬくと育ってきた若造の筆者(小僧っこ)に何ができるんだ!という風潮があったが、筆者の基礎研究による取り組み等に対して、その真剣さが理解され、ある移住者は「移住した40年前に、筆者が技術者として赴任してくれていれば良かった」とまで告げてくれた。この他、アマゾナス州のマナウス、中西部セラード地帯にあるブラジリア旅行記、グァタパラ日系移住者との文化交流等の思い出の記述も含まれている。さらに、サンパウロでは、東京農業大学出身の移住者(大先輩)とのコンタクトもあり、親睦あるお付き合いをさせていただいたことにも感謝している。
レビュー(0件)