本書の著者は、密教学研究者として大学教員を務め、並行して高野山真言宗の僧侶としての活動もされていた方である。加えて高野山の街の御出身でもあるという。色々な意味で「高野山の人」ということに、否、「高野山の人そのもの!!」と言ってしまって差し支えないかもしれない。そういう方の、朗々とした肉声が聞こえるような、スッキリしていると同時に重厚な感じの読み易い文体で、少し難解であるかもしれない事項も慣れた様子で一般読者向けに説きながら折り重ねられるエッセイが多く収められている。それらのエッセイは一冊全体に巧みに散らされ、何やら「高野山を巡る小百科事典」という内容になっている。 豊かな内容を「小百科事典」と形容はしてみたが、それは飽くまでも豊かな内容の譬えに過ぎない。百科事典のような何かの説明に終始するという感の文章ではなく、「高野山の人」たる筆者の肉声が感じられるような、情感溢れる魅力的な文章が満載であると思った。 「開創千二百年を迎える高野山」と注目されたことを背景に上梓された本書であるが、弘法大師こと空海が真言密教の道場を開創したのは816年と伝えられる。そんな頃から、「営々と歴史が…」ということを「少し凄い…」とは思うのだが、「如何様な歴史?」というのはよく判らないかもしれない。本書はそういう疑問への回答ともなっているが、「現在でも営々と続く“高野山”の営みや自然」にも言及され、大変に好い一冊になっていると思った。,最近、楽天ブックスさんの本、ページが折れていたり、汚れていたりと返品交換が多いいです。,著者は高野山に生まれ育ち、現在は高野山真言宗管長を務める。高野山を語るのに、これほど適した人はいないだろう。高野山は明治に到るまで女人禁制だったので、そこで家族が暮すことはなかった。高野山で生まれ育った人間はまだ何世代もいないのである。本書は高野山を山岳仏教の拠点としてだけではなく、その歴史、四季折々の行事と風情、文化財など多面的に語っている。まさにそこで物心がつく前から生活してきた実感のようなものがあるのだろう。 高野山を語るのに空海を抜きに語ることはできない。しかし、本書では空海や仏教の教えについてはあまり紙幅を費やしていない。高野山は比叡山と比較して述べられることが多いが、比叡山が聖域と俗界を厳しく結界しているのに対し、高野山は聖と俗が混在しているという。高野山は宗派を問わず、武将や文化人、公家だけでなく、多くの庶民からも霊場信仰を集め菩提所を設けられてきた。時代の変化に伴い、高野山も交通が整備され、世界遺産にも登録され、外国からの訪問者も多いと言う。 高野山は長い時間をかけて多く人の平安への祈りが凝縮されており、大自然が人の世の争いや営みを包み込んで癒しの場を形成しているのであろう。開創1200年の大法会にはぜひ訪れてみるつもりだ。,夏休みに高野山と比叡山を訪れたので、復習の意味で本書を手にした。著者は、高野山大学名誉教授で高野山真言宗管長の松長有慶さん。 高野山を訪れて意外だったのは、ごく普通の田舎町に見えたこと。「現在の高野山は人口およそ二千数百人。そのうち僧侶はほぼ一割、大多数は在家の人々によって構成されている」(13ページ)そうである。学校からコンビニまで何でもある。 もうひとつ、「比叡山は山頂に立てば、東は琵琶湖、西は京都の市街を遠望することができる」(15ページ)のだが、高野山は盆地になっており外界を見下ろすことができない。「このように異なった地形の中で生まれ、育った真言・天台両宗の歩んだ足跡は、対照的な歴史をそれぞれが刻んできた」(15ページ)ということである。 そして、高野山奥之院にある膨大な数の墓に驚かされたが、他宗派の創始者の墓まである。これは「異端者であっても、反逆者であっても、みんな知らぬうちに包み込み抱き取ってしまう真言密教の包摂の原理」(56ページ)によるものだという。 「真言密教では、人間と自然は対立関係にあるのではなく、ミクロコスモスとしての人間と、マクロコスモスとしての大自然とは、本質的に一体、不二の関係においてあると考える」(118ページ)という。これはキリスト教に似ているが、日本人は「物質にいのちを認める」。 空海は835年に62歳で死去するが、醍醐天皇の治世である921年10月、朝廷から弘法大師という贈り名が届けられた。「このころから、大師は高野の山に今もいまして、人々に救いの手を差し伸べられておられるという入定留身の信仰が、日本全国に広がっていく。」(123ページ) 仏教宗派の中で、開祖が生きて人々を見守っているという信仰をもつ人物は弘法大師に限られる。それは、大師が832年、「虚空尽き、衆生尽きなば、涅槃尽き、我が願いも尽きん」(125ページ)という壮大な願いをかけたことによるという。生きとし生けるものがいる限り、大師の救済活動は続くというのだ。 松長さんは「あとがき」で「社会性と非社会性を一人の人格の中で見事に融合させた大師の生涯は、複雑な問題を抱えた社会を生きる現代人に、今なお理想的な生活規範の一端を示しているとみてよい」(223ページ)と結んでいる。 バーチャルリアリティがいくら進歩したとしても、高野山に一度登ってみないと味わえない感覚である。
レビュー(13件)
本書の著者は、密教学研究者として大学教員を務め、並行して高野山真言宗の僧侶としての活動もされていた方である。加えて高野山の街の御出身でもあるという。色々な意味で「高野山の人」ということに、否、「高野山の人そのもの!!」と言ってしまって差し支えないかもしれない。そういう方の、朗々とした肉声が聞こえるような、スッキリしていると同時に重厚な感じの読み易い文体で、少し難解であるかもしれない事項も慣れた様子で一般読者向けに説きながら折り重ねられるエッセイが多く収められている。それらのエッセイは一冊全体に巧みに散らされ、何やら「高野山を巡る小百科事典」という内容になっている。 豊かな内容を「小百科事典」と形容はしてみたが、それは飽くまでも豊かな内容の譬えに過ぎない。百科事典のような何かの説明に終始するという感の文章ではなく、「高野山の人」たる筆者の肉声が感じられるような、情感溢れる魅力的な文章が満載であると思った。 「開創千二百年を迎える高野山」と注目されたことを背景に上梓された本書であるが、弘法大師こと空海が真言密教の道場を開創したのは816年と伝えられる。そんな頃から、「営々と歴史が…」ということを「少し凄い…」とは思うのだが、「如何様な歴史?」というのはよく判らないかもしれない。本書はそういう疑問への回答ともなっているが、「現在でも営々と続く“高野山”の営みや自然」にも言及され、大変に好い一冊になっていると思った。
中身以前の問題
最近、楽天ブックスさんの本、ページが折れていたり、汚れていたりと返品交換が多いいです。
高野山開創1200年、出かける前に読もう
著者は高野山に生まれ育ち、現在は高野山真言宗管長を務める。高野山を語るのに、これほど適した人はいないだろう。高野山は明治に到るまで女人禁制だったので、そこで家族が暮すことはなかった。高野山で生まれ育った人間はまだ何世代もいないのである。本書は高野山を山岳仏教の拠点としてだけではなく、その歴史、四季折々の行事と風情、文化財など多面的に語っている。まさにそこで物心がつく前から生活してきた実感のようなものがあるのだろう。 高野山を語るのに空海を抜きに語ることはできない。しかし、本書では空海や仏教の教えについてはあまり紙幅を費やしていない。高野山は比叡山と比較して述べられることが多いが、比叡山が聖域と俗界を厳しく結界しているのに対し、高野山は聖と俗が混在しているという。高野山は宗派を問わず、武将や文化人、公家だけでなく、多くの庶民からも霊場信仰を集め菩提所を設けられてきた。時代の変化に伴い、高野山も交通が整備され、世界遺産にも登録され、外国からの訪問者も多いと言う。 高野山は長い時間をかけて多く人の平安への祈りが凝縮されており、大自然が人の世の争いや営みを包み込んで癒しの場を形成しているのであろう。開創1200年の大法会にはぜひ訪れてみるつもりだ。
敵も味方も高野山に眠る
夏休みに高野山と比叡山を訪れたので、復習の意味で本書を手にした。著者は、高野山大学名誉教授で高野山真言宗管長の松長有慶さん。 高野山を訪れて意外だったのは、ごく普通の田舎町に見えたこと。「現在の高野山は人口およそ二千数百人。そのうち僧侶はほぼ一割、大多数は在家の人々によって構成されている」(13ページ)そうである。学校からコンビニまで何でもある。 もうひとつ、「比叡山は山頂に立てば、東は琵琶湖、西は京都の市街を遠望することができる」(15ページ)のだが、高野山は盆地になっており外界を見下ろすことができない。「このように異なった地形の中で生まれ、育った真言・天台両宗の歩んだ足跡は、対照的な歴史をそれぞれが刻んできた」(15ページ)ということである。 そして、高野山奥之院にある膨大な数の墓に驚かされたが、他宗派の創始者の墓まである。これは「異端者であっても、反逆者であっても、みんな知らぬうちに包み込み抱き取ってしまう真言密教の包摂の原理」(56ページ)によるものだという。 「真言密教では、人間と自然は対立関係にあるのではなく、ミクロコスモスとしての人間と、マクロコスモスとしての大自然とは、本質的に一体、不二の関係においてあると考える」(118ページ)という。これはキリスト教に似ているが、日本人は「物質にいのちを認める」。 空海は835年に62歳で死去するが、醍醐天皇の治世である921年10月、朝廷から弘法大師という贈り名が届けられた。「このころから、大師は高野の山に今もいまして、人々に救いの手を差し伸べられておられるという入定留身の信仰が、日本全国に広がっていく。」(123ページ) 仏教宗派の中で、開祖が生きて人々を見守っているという信仰をもつ人物は弘法大師に限られる。それは、大師が832年、「虚空尽き、衆生尽きなば、涅槃尽き、我が願いも尽きん」(125ページ)という壮大な願いをかけたことによるという。生きとし生けるものがいる限り、大師の救済活動は続くというのだ。 松長さんは「あとがき」で「社会性と非社会性を一人の人格の中で見事に融合させた大師の生涯は、複雑な問題を抱えた社会を生きる現代人に、今なお理想的な生活規範の一端を示しているとみてよい」(223ページ)と結んでいる。 バーチャルリアリティがいくら進歩したとしても、高野山に一度登ってみないと味わえない感覚である。