「人が生きていく上で、聖なるものは必要なのではないだろうか?」江戸・東京と奈良における“聖地への信仰”の変選を比較することで、その背景となる文化と社会の違いが明らかとなる。江戸・東京の富士講にみる富士山信仰、奈良県室生(むろお)の聖地的山里景観、奈良市の御蓋山(みかさやま)・春日山(かすがやま)の多様な信仰と世界遺産登録後の変化ほか。
序章
【第1部 聖地への信仰における身体と文化】
第1章 聖地的山里室生の景観の構造
第2章 江戸・東京の富士講による富士山信仰ー富士塚からー
第3章 江戸の富士講と庚申ー「道」の陰陽五行思想からー
【第2部 聖地御蓋山・春日山への多様な信仰】
第4章 近世奈良町の春日講による信仰ー春日曼荼羅からー
第5章 近世春日社神領民による信仰ー松苗からー
第6章 現代人による信仰ー世界遺産登録後の春日山錬成会からー
終章
補論 「私」がいる地理学へー「道」の思想に基づく東洋地理思想の再発見ー
レビュー(0件)