1453年ヨーロッパを震撼させたオスマン帝国メフメト2世(作者はモハメットと訳しているが)の有名なコンスタンティノーブル陥落、頑強な城壁に守られた街が落ちるまでの詳細な戦闘の記録が生き残ったイタリア人の報告を参考にして生き生きとつづられています。この文献を見つけたことで、書こうと思われたのでないかと想像します。 ビザンティン帝国皇帝は誇り高く滅びるものの美学に彩られ美しく表現され、対するメフメトは冷血で男色であの街が欲しいと言い張り、ビザンティンの皇帝がオスマンの亡命者の監視料の値上げを要求しメフメト2世を挑発したエピソードは記載されていない。 残虐なのはオスマンだけでなく、ビザンティンもクーデター、暗殺、内乱にあけくれ長期政権は少なく追放される皇帝は目をくりぬかれ、鼻をそがれていたそうです。 カソリックに弾圧されたユダヤも受入れ、多くの異民族を柔軟に統治して衰弱しながらも長期政権を築き上げたオスマン帝国。 平和ボケした日本人の私には降伏すれば多くの人命が救われたのにと 思えてならなかった。